これは本牧町・本郷町のお店を訪ね、店主からこだわりの商品やうんちくを聴くというツアーで、毎回これを楽しみにしている参加者も多い。
今回の集合場所は上台集会所。かつて上台公設市場があった所に建っている中区の施設である。
ツアーの運営委員でもある本牧リボンファンストリートの羽生田さんから今回のツアーの概略説明があった。
いつもならばここで商店会会長の挨拶があるのだが、最初に訪問するところが銭湯ということで、説明のあとすぐに出発した。
「泉湯」の常連客は2時前にはノレンをくぐって脱衣所に来てしまうから急がなければならなかったのだ。
まずは参加者全員で「泉湯」へ向かう。
「泉湯」は北方町の住宅街のなかにある。
店主から、玄関上にあるステンドグラスの説明を聞く。
大正時代から続く銭湯が廃業した時、そこに飾られていたステンドグラスを貰い受け、ここに設置したという。
参加者が「亀のデザインですね」と質問すると、「そうなの、廃業した銭湯の名前は亀の湯だったからね」と店主。
下駄箱
貴重品ボックス
このあと脱衣所に入ってお話を聞く。
私はこの銭湯の2代目です。
親父が東京で所帯を持って、流れ流れてここに行きついたのです。5か所くらい回ってきました。
昔はね、お風呂屋さんというと皆さん、そこが家だと思うでしょうが、そうじゃないんですね。
アパートと同じように2年契約でお風呂を借りて営業していたのです。
そこで儲からなければ、ほかに移っていくのね。
私が生まれたのが麻布、2番目が赤坂、3番目が海岸通り、
5番目、6番目が元町、そして7番目がここで生まれています。
私の兄弟ですよ。
戦後は、ここを売って町田に来ないかという話もありましたが、
昭和24年の正月かな、大雪が降った日に親父が酒を呑みながら、2階から雪景色を見ていて「こんないいところはない」と思って、そのままここで営業を続けています。
(ここで脱衣所から湯船に移動)
皆さんご存知のように、お風呂屋さんというのは衛生をきちっとしていなければなりません。
しかも塩素があまり強いというのもいけません。
営業前にこうして試験管にお湯を入れて検査をしています。
こういう色が出ればいいのです。
そして終了まで同じ状態が続くのが我々の願いです。
それからね、洗い場の下に配管があるのですが、これが20年ぐらいで漏れてきたりして修繕をしなければならないのです。
書き換えたばかりのペンキ絵
現在の建物は昭和23年に建てたもので、その後、昭和44年ごろかな、一度修理をして、それからまた平成元年ころ、配管をし直しました。
とにかく費用がかかるのです。
100万円単位ですからね。
こういうことで廃業していくお風呂屋さんも多いのです。
幸いうちは倅が「あとを継いで続けるよ」といってくれたので、また修理して現在に至っています。
(洗い場から脱衣所に移動)
この床を見てください。昔風の縁甲板です。
この下には3寸角の大引きが2層になっています。
普通は大引きの上に垂木をのせ、その上に縁甲板を張るのですが、ここは大引きの上を2重にしているのです。
平成元年ころ、あちこちで建物の解体が行われましたが、そのときに出たヒノキとケヤキ材を再利用して床下を造ったわけです。
燃料用としてやって来た廃材の中にあった欄間を再利用
あれから25年経っているけど、これほど頑丈なのです。(床の上で飛び跳ねながら)
これが外材だったら、こんなにはもたなかったでしょうね。
改修工事の写真
それから通風が大事です。
縁側の外を見てください。
ブロック塀に穴を開けているのですが、
こんなことをやっているお風呂屋さんなんてないでしょうね。
これは風通しを良くするためなんです。
外から見えちゃうんで男湯だけですけどね。
質問
男湯と女湯の位置は、どこでも同じなんですか。
回答
いや、それは銭湯によって違います。
中には1週間おきに男女を入れ替えるとこもあります。
質問
お歳はいくつですか。
回答
昭和8年生まれで82歳です。
質問
今いちばん苦労しているのはなんですか。
回答
ガス代が値上がりしていることですね。
厳しいです。
昭和29年に横浜市が発行した「入浴者の心得」
燃料用の廃材に含まれていた柱を再利用
「おかみさ~ん、時間ですよ~」なんていう銭湯のTVドラマがあったけど、今回の訪問でもそろそろ常連さんが入浴に来る時間となり、次のお店へ移動することに。
つづく
posted by よんなん
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