2012年11月10日土曜日

本牧を巡る「第7回商店街うんちくツアー」が開催された(4)



 今まで我々は明治時代末期の開業だと思っていたのですが、開業は大正元年で、私は3代目になります。
 実はこの先に小槻理髪店というのがあって、そこの先代が細かく日記をつけていまして、その中に小槻理髪店が開店した年に華香亭も開店したと書いてあったんですね。

 最初に開業したのは私の父の伯父でした。
 父親から聞いた話では、当時は麦田のトンネルもなく、関内方面から本牧に来るには、中華街で仕入れた材料をリヤカーに積んで代官坂を登って本牧に来ていたそうです。
 坂には押し屋がいて駄賃を払って押してもらっていたといいます。

 そして当時は、この辺はかなり賑やかだったとも。



 その頃の中国は貧しくて、うちの田舎の人たちはこの店に居候して、料理を学んでからあちこちに散っていきました。昔は広東系のコックさんでうちの店を知らない人はいませんでした。
 
 父親の代のときに本牧に2,3軒支店を出したので、ここが本店となったわけです。今はここしかやっていませんが、その時の名残で華香亭本店となっています。
 
 この近くにキリンビールの工場があったため、この辺りには馬蹄屋さんもたくさんあったという話です。



(参加者)「喜月堂のところが馬蹄屋のたまり場だった」
古いお客さんや父に聞いた話では、この近くに芸者の置屋さんとか検番もあったそうです。
(参加者)「調度品が素晴らしいですね」



 この建物は戦後すぐバラックで建てたのを、昭和35年頃、現在の建物に建て直しています。戦前の資料は戦災でやられてしまって、何も資料が残っていません。
 お客さんですか? ほとんど地元の方々です。よく、テレビとか雑誌に出さないかという話が来るのですが、二人だけでやっている店なのでみんなお断りしています。



(参加者)「バンメンが有名と聞いたので、それを食べなきゃと思うのですが…」



 お客さんによって、それぞれ好みが違います。
 それこそ昔は、五目そばが好まれていましたが、それは塩味が付いているかどうか分からないくらい薄い味でした。今の人はそれでは駄目ですね。

 それから昔はヤキソバといったら硬いヤキソバで、そこにモヤシのあんかけがのっていたものですが、いまではそういうのを食べる方は6分の1くらいになっています。


世の中が柔らかいヤキソバになっていっているので、うちの店でもそういうのを取り入れています。
営業時間は11時45分くらいから9時までなんですが、途中、2時半から5時半まで休憩を入れています。
定休日は水曜日で、10月はまるまる1ヶ月休みます。
(参加者)「どこかに行かれているんですか」
中国が半分、その他の国が半分ですね。中国は数多く行っていまして、チベットとかシルクロード、雲南とかが多いですね。
日本では中国料理というと一からげで考えている人もいますが、中国は広いので、いろいろな料理があります。
フランス料理、スペイン料理、ドイツ料理というぐらいの違いがあります。
いろいろな料理に出会いますが、それを店で出すかどうかはまた別問題です。
今、中国ではものすごい勢いで料理が変わってきています。この20年くらいで辛い料理もどんどん増えています。もともと淡白なものを食べている地域でも辛いものが広がっているんです。
(参加者)「中国の醤油はどんなんですか」
日本の醤油より少し塩分が少ないです。たまり醤油、薄口醤油、濃口醤油などがあります。揚子江から北では醤油を使う料理が多いです。
それからお酢も揚子江近くに有名な酢の産地があるので、北のほうでは黒酢を使う料理が多いようです。



(参加者)「あの大きな古時計はゼンマイで動いているんですか?」

 一週間に一度巻いています。温度で時間が違ったりしますけど。
 表に何も出していないし、古い建物だし、何十年も近所に住んでいて、ここが中華料理屋だとは気づかなかったとおっしゃる方もいました。
 昔から表にメニューも出したことなかったのですが、たまに新しいお客さんが来て不安になるようなので、少しだけ出すようにしました。



(参加者)「ガラス窓がステキですね、サッシじゃないし。文化遺産ですね」
古い建物でガタガタなんですよ。この前の地震のときなんか、中にいたお客さんがみんな外に飛びだしてね、逃げただけじゃなくて「これ潰れる~」なんて!
(参加者)「ここはもう横浜の文化財じゃないですか。お店としてはこのままいくのか、それとも今の時代に合わせて新しくしていくのか、その辺はどうなんですか?」
4代も続けて通っていただいているお客様もいらっしゃるし、あるいは、長いこと外国に行っていた方が戻ってきて久々にお店に来られると、昔のままでよかったとおっしゃるし、もうこのままでいくしかないでしょうね。(拍手)

【ここでシュウマイが登場】


昔、伊勢佐木町に博雅亭というお店がありました。うちの父親と仲が良かったのですが、あそこのシュウマイは大きかったですよ。
以前はシュウマイというと、普通は小型のものでしたけど。
今のものよりも小さかったと思います。それがだんだん大きくなってきたわけですが、博雅のシュウマイは、昔から大きかったのです。

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