2010年9月27日月曜日

第2回商店街うんちくツアー 細野植産 本牧ガーデンセンター(1)

 惣菜の「大野屋」を出たグループが次に向かったのは、本牧1丁目にある「細野植産 本牧ガーデンセンター」。
 洋風の花屋さんである。






以下は、細野さんのお話。

 お店では園芸と生花を中心にやっていますが、本業は造園業です。庭とか公園や街路樹などです。
 
 戦後は本牧に米軍ハウスがたくさんあり、その庭を管理する園芸会社としてやってきました。

 そもそもは、母親の実家が六角橋で昔から造園をやっていたんです。親父はそこで働いていて、ここの現場をまかされていました。
 ここが飯場となり、ここから米軍ハウスの方へ仕事をしに出かけていたわけです。

 この本牧通りには花屋が15、6軒あります。扱うものはお店によって違いますが。

 父親から聞いた話ですが、クリスマスシーズンにツリーを1000本売った年もありました。
 富士山の裾野でモミの木を切り出してきた業者がそれを買ってくれないかと言ってきたんです。

 12月22日でした。そんなたくさんあっても売れそうにないから要らなかったのですが、安くするからというので買ったんですね、1000本も。
 それをここで降ろしていたら、アメリカ軍の人たちが買っていくんです。完売しました。


  市電が走っている頃は、この辺には飲み屋さんもたくさんありました。 
 気分が良くなると、アメリカの兵隊さんがピストルを撃ち込んだりしました。うちの壁にも撃たれたことがあります。

 この通りの向こうには川があって、よくシジミを採ったものです。これでみそ汁を作っていました。ハゼもいましたねぇ。

 娘が本牧小学校で野菜作りのお手伝いをしていたときに、生徒から「こんなのができたよ」とか、「こんな工夫をしたら良くなった」みたいなカードが送られてきました。

 それを身内だけで見ていてももったいないので、店内に張り出しました。
 こういう仕事をしていて、皆さんにも喜びを味わってもらうと、自分もうれしいですね~。












お話を聞いたあと、次のお店に向かおうとした参加者にサプライズが。
 球根のプレゼントがあったのだ。

細野植産のHP

 ちなみに、細野さんはTVチャンピオンにも出場しているとか。

2010年9月23日木曜日

第2回商店街うんちくツアー 大野屋(1)

小澤建具店を出た一行は、すぐ近くにある「大野屋」へ向かった。
 
 創業して90年近くなる総菜屋さんだ。
 ツアー終了後は上台集会所に戻って、そこで行われる交流会で惣菜を試食することになっている。



以下は大野さんのお話。


 創業したのは震災前。場所は昔の上台市場でした。
 
 最近は煮物からサラダ、ハンバーグなど洋風のもなどいろいろ作っていますけど、最初は漬け物と煮豆くらいでした。時代とともに総菜は変わってきました。

 ウズラ豆は農林大臣賞をいただいています。甘煮昆布も昔からの定番です。ハンバーグは最近始めたんです。評判いいですよ。









(店内で食べられるんですね、との問いかけに)
 カウンターとこちらのテーブルでランチを食べられるようにしました。
 ランチはメインを決めたら、惣菜を2種類選んでもらいます。
 それにみそ汁、ご飯、お新香をつけて魚が500円、肉が600円です。

 お客さんですか? 近くにあるタクシー会社の運転手さんがよく食べに来てくれますよ。






横浜橋にも「大野屋」がありますが、あれは暖簾分けした店。六角橋もそうです。ほかにも、暖簾分けはたくさんあります。
 ここから出て行った人が始めて、そこからまた分かれて、あちこちで26軒くらいありますね。


 ここで試食したいところだったが、それはツアーの最後で。
 時間が来たので次のお店へ。
(つづく)



2010年9月22日水曜日

第2回商店街うんちくツアー 小澤建具店(2)













第2回商店街うんちくツアー 小澤建具店(1)



828日(土)に開催された第2回商店街うんちくツアー。参加者は約30名だった。
上台集会所で商店会からのご挨拶、行事概要説明などがあったあと、2班に分かれて出発。
Bグループにはテレビ神奈川の報道局の方々が随行し、一緒に取材をしていった。
まず最初に訪問したのは「小澤建具店」。創業95年になるという老舗だ。



 若い人ばかりではなく、「けんぐやさん」、「けんぐやさん」という人がいますが、「たてぐや」と読めないんですね。「何作っているんですか」とも聞かれますよ。
 知らない人が多くなったなぁ…

 昭和30年代がいちばん良かったね。この商店街にはアーケードがあってね、ずらっとネオンがついていたの。

 サッシがでてきてからこの業界は景気が悪くなってきたのさ。
 市電? 当時の電車はここ(本牧1丁目)で折り返していたんだ。
 うちの親父は終電まで働いていたよ。朝は始発電車と一緒に仕事を始めていました。

 私の代になって建具製作技能士というのができました。
 文化体育館で試験があってね、材料を与えられて、2、3時間で作るというもの。
 機械など使わず全部手作業で作りました。この資格がないと職人を使えなかったのね。今は、こんなことないけどね。



カンナにもいろいろな種類があります。みんな幅や形が違うんです。

 (作業場に置かれた欄間を示しながら)これは60年前に親父が作ったものです。組子ですね。全部手作り。
 髪の毛一本分の厚さが違っても組み立てられなくなるんです。

 接着剤? ボンドなんか使っていません。当時はそんなものはないから、朝ご飯を炊くとそれを練るんです。それを糊として使っていた。
 だから、ネズミが食べちゃうんです。




うちには職人が3人いたけど、仕事を簡単には教えてくれない。自分で見て覚えるんです。
 職人とは別に住み込みの小僧さんもいました。
 職人に同じことを二度聞くと金槌で叩かれたものです。今でも頭がへこんでいる人がいるくらいです。

 夜中、小僧さんがトイレで泣いていることもよくありました。

 話は尽きないが、時間が来たので次のお店へ移動。