2009年10月29日木曜日

27年前の新本牧地区



 昭和53(1978)年、新本牧地区区画整理事業が都市計画決定されると、エリア内はいよいよ慌しくなり、昭和56(1981)年には、米海軍横浜海浜住宅PX広場で、最後の日米親善盆踊り大会が開催された。
 写真がないのが残念だが……。

 昭和57(1982)年、建設省が新本牧地区土地区画整理事業認可。
 同じ年に、横浜海浜・新山下・根岸の各米軍住宅地区返還、地権者全員と街並み統一を目指す建築協定締結、新本牧地区土地区画整理事業基盤整備着手と、事業が一気に進んだ。

2009年10月28日水曜日

「グルッペ本牧」に鮮魚コーナーがオープンするぞ



震災後の大正15年に開設された上台小売市場を前身とする「グルッペ本牧」。

 
 域の台所として毎日賑っているが、11月1日、店内に鮮魚コーナーがオープンする。



 本牧漁港から仕入れた魚が並ぶのだろうか。

2009年10月27日火曜日

菜園づくりのチャレンジャー募集!


「4南元気づくりの会」で菜園づくり・野菜づくりのチャレンジャーを募集している。



 同会は中区の第4地区南部の町内会長などを中心とするグループで、本牧町・本郷町の活性化や地域の結びつきの強化などを目指すために立ち上げられた。

 菜園づくりはその活動の一環。収穫することも大きな喜びであるが、最大の目的は地域の人同士が一緒に野菜を育てながら“知縁”も育てていくことにある。

 昨日、鳩山首相は所信表明演説の中でこのようなことを述べておられる。
『かつての「誰もが誰もを知っている」という地縁血縁型の地域共同体は、もはや失われつつあります。そこで次に私たちが目指すべきは……新しい共同体のあり方です。スポーツや芸術文化活動、子育て、ボランティア活動、環境保護運動、インターネットでのつながりなどを活用して、「誰かが誰かを知っている」という信頼の市民ネットワークを編みなおすことです。……それぞれの価値を共有することでつながっていく、新しい「絆」をつくりたい……』

 ということで、鳩山首相も「菜園づくり・野菜そだてチャレンジャー」をお勧めしている。(と思いたい)

 菜園づくりをお手伝いするサポーターも同時に募集しているので、経験のある方はこちらに応募してみてはいかが。



■第4地区南部連合町内会

中本牧コミュニティハウスで栽培したピーマンがウマイ!

この夏、中本牧コミュニティハウスで空き地を使った野菜づくりが行われていた。
作物はピーマン、ナス、しし唐など。


 採りたてのピーマンをそのまま齧ったら、甘くてみずみずしい雫が口中いっぱいに広がった。

中本牧コミュニティハウスの前身は……




20091027()
 中本牧コミュニティハウスは、地域の方々の「ふれあい」や「交流」を図る場として2002年にオープンした。
 図書室、交流コーナー、プレイルーム、会議室、学習室、多目的室などがあり、なんと部屋使用料は無料!
 子育て中のお母さんや、小中学生が立ち寄ったり、各種講座に参加する人たちでいつも賑っている。
 
 この建物がコミュニティハウスになる以前、ここは中区青少年図書館(1967年開館)だった。
 さらにその前を辿ると、山手警察署として使っていたこともある。
 その前は福祉系の施設だったという話も聞いた。(ご存知の方がいらしたら教えてください)

 
 ここは中本牧コミュニティハウス横にある「子供の遊び場」。
 曲がりくねった道路のような園路は、かつての「交通教室」の名残だ。
 山手警察署時代に造ったのだろうか?
 

あれから27年

2009年10月27日
 敗戦後、今の小港町から本牧和田にかけての広大なエリアが米軍に接収された。
 古老の話では、「3日以内に移転せよ」ということで、有無を言わさず立ち退かされたという。

 ブルドーザーで一気に整地したあと、フェンスで囲んだ敷地には米軍住宅などが建設された。
 広々とした芝生の中に建つハウスは、狭い家に住む日本人にとっては羨望の的だった。
 自分もいつかはあんな家に住みたい、あのような生活をしたい、と思ったものである。
 
 その接収地が返還されたのは1982年。

 
▲式典の様子

 
▲米軍住宅

 
The 19th Hole
 
 返還から27年。
 跡地には高級住宅やマンション、大型ショッピングセンターが建設されたが、交通機関はバスだけということもあって、マイカル本牧は縮小を余儀なくされている。

2009年10月26日月曜日

侮れない本牧中華 麺ロードを行く その④「李香園」




20091026()
 トマトタン麺で知られた「李園」。
 その3軒ほど先にも中華料理店がある。



 店の名は「李香園」。「李園」の間に「香」が入るだけの違いだ。
 かつては「上海楼」といっていたはず。

 それがいつの間にか、似たような店名に変わっていた。
 だから、「李園」に行くつもりの人が、よく間違って「李香園」に入っていることがある。
 


 こちらが「李園」と異なるのは、昼時のランチサービスがあること。
 いつも4種類のメニューが提供されている。

 この日のランチは、

 A 鶏肉の辛子炒め
 B 豚モツと野菜炒め
 C 豚肉とキャベツの味噌炒め
 D 麻婆豆腐

 どれもライス、スープ、ザーサイ、杏仁豆腐がついて650円。
 横浜中華街で出てくる普通のランチと変わらない設定である。
 お味のほうも悪くない。



 ここの最大の魅力は、大人数で会食できるということだ。
 「4南元気づくりの会」で話し合いをしたあとは、いつもここで懇親会を行っている。
 20人ほどのメンバーが一堂に会して紹興酒を呑みながら中華料理に舌鼓を打つ。

2009年10月21日水曜日

侮れない本牧中華 麺ロードを行く その③「李園」




20091021()
 トマトタン麺で知られた中華料理店。
 とにかく混んでいる。とくに昼時などは車で来ている人も多いようで、店前の路上には2台くらい駐車していることもある。



 ほとんど無言で鍋を振っている調理師たちの姿は、どこか福富町の「イタリーノ」のシェフとダブる。
 握っているのが中華鍋とフライパンだけの違いだ。

 ここで初めて食べた排骨飯。

 

 排骨は薄く、意外と量も少ない。
 ご飯とのバランスを考えながら食べ進まないと、あとでご飯だけが残ってしまうことになりかねない。

 

 やっぱり「李園」ではトマトタン麺だ!
 このスープがうまい!
 
 何日かすると、また食べに行きたくなってしまう。

店名■李園
住所■中区本郷町1-18
電話■621-9878
営業時間■11:3014:30 17:0022:00
定休日■月曜

2009年10月20日火曜日

侮れない本牧中華 麺ロードを行く その②「木の子」(続)




20091020()
 ねぎチャーシュー冷麺がピリ辛でうまい!
 チャーシューがいいのだろう。

 

 もう10月だから、やっているかどうか…
 

【お店情報】
店名:木の子
住所:中区本牧町1-104
電話:623-0383
営業時間
木曜~月曜 11:3014:00 17:003:00
火曜・水曜 17:003:00

すごい営業時間だ。

侮れない本牧中華 麺ロードを行く その①「木の子」




20091020()
 中華料理といえば「横浜中華街」と、相場は決まって……

 いるわけではない。

 野毛もそうだが、何故かここ本牧・本郷町エリアにも実力派「中華料理店」が点在しているのである。
 中には創業100年という老舗もあったりして、町中華を探す散歩も結構楽しい。

 今日ご紹介するのは本牧通りに面したウッディな「木の子」。



 ご覧のように内部はログハウス風。中華街のお店に親しんできた横浜市民からみたら、中華料理店とは思えないような造り。


  土曜の昼下がり。
 まずはビール(中ビン)を注文。ピーナッツがついて480円というのは、かなりお得感がある。
 山小屋の雰囲気を味わいながら呑む。

 本日の定食は、
(1)ニラレバ炒め(750円)
(2)白菜と干しエビ煮(750円)
(3)ニンニクの芽と豚肉炒め(800円)
(4)鶏肉の味噌炒め(800円)

 このなかから1番を注文。


 レバは肉厚で、なかなか美味しい。
 シャキシャキのモヤシと韮もいい味を出している。

 中華街から離れた本牧の地に、こんな良い店があったとは!
 本牧麺ロード! 意外と侮れないぞッ!

【お店情報】
店名:木の子
住所:中区本牧町1-104
電話:623-0383
営業時間
木曜~月曜 11:3014:00 17:003:00
火曜・水曜 17:003:00

すごい営業時間だ。

2009年10月16日金曜日

タコ足配線@米軍ハウス



昭和50年代の米軍ハウスにて。(中区史より)

タコの足につながっているのは、トースター、ストーブ、アイロン、ポット、コンロ。
面白いのは炊飯器。
彼らはご飯を炊いていたのだろうか。

それにしてもタコ足配線というのは日米共通のようだ。




2009年10月15日木曜日

1980年代の小港交差点



ここは1980年代の小港交差点。
山手警察署側からの撮影だ。

写真の右方面が関内、左方面が間門・根岸である。
正面の広い空き地は「NAVY EXCHANGE」の跡。
現在ここには大きなマンションが建っている。


2009年10月13日火曜日

本郷町にあった“横浜中華街”



本牧・本郷町と横浜中華街。

 地理的にはかなり離れているが、その関係は意外と強いのかもしれない。

 先日はこんなお店を発見!



 横浜中華街南門通りに店を出す「留仙閣」の本牧店。点心を製造する工場兼売店である。
 ここは本郷町3丁目。ガス山の下、旧道に面した住宅の多い場所だ。
 まさか、このような場所に工場があるとは知らなかった…

 

 家に持ち帰り蒸して食べてみたが、まあまあ美味しかった。
 売店で蒸してもらって食べれば、もっと良かったかも。

大鳥小学校の近くにもあった牧場




  たまたま昭和31年の住宅地図を眺めていたら、大鳥小学校の近くにも牧場があったことを発見。
 名前は西山牧場という。

 

 しかし、牧場とは言っても、広い土地に牛や馬が放牧されているわけではなかったようである。
 この地図で見る限り、そこには牧舎しかなかったようで、せいぜい数頭の牛馬を飼育していただけと思われる。
 当時の写真が残っていれば、その正確な姿が分かるのだが、残念ながらこのエリアにおける昭和30年代の写真は見たことがない。

 さて、この地図を見ていて気がついたと思うが、やたら「外人」と書かれた家が多い。
 戦争が終わって11年。本牧は広大なエリアが接収され、小港から先は本牧通りを挟んで両サイドに米軍ハウスが建ち並んでいたが、接収地以外にもこうしてアメリカ人が住んでいたのだろう。

 最近、本牧・本郷町のまち歩きをしているときに、「おやッ!?」と思わせる住宅に出くわすことがある。
 それは、いわゆる普通の日本家屋ではない、どこか一部にアメリカ風を感じさせる和風住宅といった感じの家。
 たぶん、昔はアメリカ人が住んでいたのだろうと想像していたのだが、この地図に描かれた「外人」住宅を見て、その見方が正しかったことを実感した。

 もう一つ、この地図を見ていて気がついた。それは今の本牧大鳥公園がある所が、当時は「中母子寮」だったということだ。
 その後、この場所は昭和44年に障害者の通所施設「おおとり園」となり、そこが閉鎖されたあと、平成9年には「中区ボランティアハウス」として再利用されてきたのである。

 
 












▲おおとり園


 













▲中区ボランティアハウス

 そのボランティアハウスも閉鎖され、平成16年、その機能は「中区福祉保健活動拠点」(中区山下町2)に移転。
 跡地は公園として整備され、そこに隣接して本牧大鳥自治会の会館もできた。

2009年10月7日水曜日

風車や大沢牧場が登場する童話「ヨコハマのサギ山」



先月、本牧・本郷町で「まち歩きの会」があった。
 町内の“いいトコ探し”の活動だったのだが、その際、地元の町内会長から平塚武二(19041971)という児童文学作家の存在を教えていただいた。

 平塚武二は横浜(本牧?)で生まれ、青山学院を卒業したあと鈴木三重吉に師事し、昭和17(1942)に童話集『風と花びら』を発表している。
 戦前から戦後にかけて活動した作家で、昔の横浜の情景を鮮やかに描いていることで知られているようだ。
 その辺の活動が評価されたのだろうか、昭和39(1964)には横浜文化賞を受賞している。

 彼の作品群のなかに『ヨコハマのサギ山』(昭和23)というのがある。町内会長お薦めの一冊だ。
 さっそく、それを読んでみた。

 すると、そこには例の風車の光景が描かれていたのである。
 
 例の風車とは何かって?
 
 大神宮山(本郷町と西之谷町の境界)に建っていたヴィラ・サクソニアの風車だ。



















大神宮山の名残

参考 風車の話し


 ペンキ職人のひとり娘ツウタンの日常行動の中にその風車が登場している。

 『ツウタンは、よく、家のうらの、かげになっているところにのぼって、そこからよく見えるドイツ人の異人やしきの、屋根の上でまわっている風車を見ていることがありました。
 風車は、夕焼けの赤い空で、くるくるくるくるまわっています。
 ドイツ人の異人やしきでは、風車をまわして、電気をおこしているのでした』

 この作品は昭和23年の発表であるが、話の中身はそれより30年も前のこと。大正初期の頃だろうか。
 作者は実際にヴィラ・サクソニアの風車を見ていたに違いない。それをツウタンの行動の中で描いているのだ。


 ツウタンの友達に、貧乏な靴屋の娘トコがいる。
 姉妹が8人もいるため13才ながら学校が終わると、外国人のテニスクラブに行って球拾いのアルバイトをしている健気な子だ。
 働いて得たお金で、小さな弟のために牛乳を買いに行くのだが、そこに今度は本郷町の牧場が登場する。

 『あそぶ人のためにはたらなければならないなんて、貧乏はつらい。でも、そうやってはたらいてもらうお金が、あかちゃんのおっぱいになるのです。
 だいじな、だいじなお金です。トコは、しっかりとにぎっていきます。わざわざ買いに行かなくても、牛乳屋さんのほうから持ってきてくれる牛乳を、トコが買いにいったのは、牛乳屋さんに牛乳をまけてもらって、たくさんほしいからだったのです。
 お金は、牛乳屋さんにわたすときには、あせばんでいるのです。
 牛乳を買いに行くところは、オオサワ牧場です。牧場といっても、小さなものです。牛は、5,6頭しかいませんでした……』


 本牧通りから本牧緑ヶ丘方面に入って行く谷戸がある。大沢谷戸という。
 その名の由来は、ここにあった大沢牧場だ。
 それが『ヨコハマのサギ山』に描かれていたのである。

















大沢谷戸の風景






















 大沢牧場の近くには、他にも牧場がたくさんあった。
 昭和8年の火災保険地図より

 物語の最後は、悲しい事柄が続く。
 ツウタンのお父さんは、彼女が15歳のときに、ペンキを塗っていた汽船の煙突から転落死する。
 サアボウのお父さんも、第1次世界大戦で戦死。

 そのあとは、大きくなった子供たちも太平洋戦争で戦死したりして、登場人物だった子供たちはみんな居なくなってしまう。

 『…たった30年そこそこのあいだに、なんというかわりようでしょう。横浜は、わたしのふるさとですから、わたしは、かなしくてなりません。かなしくてかなしくてなりません。
 だが、しかし、かなしんでもしかたがない。クンちゃんはいなくても、リイちゃんはいなくても、ツウタンもサアボウも、トコもいなくても、元気な、あたらしい横浜の子といっしょに、力をあわせて横浜をりっぱにしましょう。……』

2009年10月6日火曜日

ドイツ仕込のハム・ベーコン ~本郷町・すぎやま~



黒船物見遊山の記事で本牧・本郷町とドイツの関係を少し書いた。
 一つは山手十番館横にある山手資料館。
 これは明治37年(1902年)、本牧上台57番地に中澤邸として建築されたドイツ風洋館で、昭和52年(1977)に、現在地である山手町247番に移築したもの。
 本牧上台57番地というのは現在の本郷町2丁目、「グルッペ本牧」のあたりである。

 もう一つはフランス山のフランス領事公邸にあったといわれている風車。
 当時の写真や資料がないため、これは大神宮山(本郷町と西之谷町の境界)に建っていたヴィラ・サクソニアの風車の写真を参考に再現しているのだが、このヴィラに住んでいたのがリヒアルト・シフナーというドイツ人だった。

 本郷町とドイツ。

 もう一つドイツがらみの話題がある。
 本場ドイツで修行してきたご主人の作るハム・ベーコンが美味しいと評判の「メッゲライ・スギヤマ」だ。
(注)メッゲライとはドイツ語で肉屋のこと

 

 ドイツのDLGコンクールにおいて3年連続で金メダルを受賞中とのこと。
 このコンテストはドイツ農産物協会(DLG)が、ドイツ国内での農産物の質の向上を目的に1887年から120年にわたり、毎年行われている世界唯一のハム・ソーセージのコンテスト。
 審査基準は厳格を極め、味・量・美しさ・添加物の種類・パッケージなど200項目もあるという。
 そのすべてをクリアした商品にだけ金賞が授与される。

 

 これがその賞状。
 店員さんの話では、何枚もあるという。

 

 叉焼も抜群にうまい。
 横浜中華街の名店も顔負けだ。

 これを詰めた弁当も販売していて、店横の小さなカウンターで食べることができる。

2009年10月5日月曜日

NHK朝の連続ドラマ「どんと晴れ」のロケ地発見!



2007年4月から9月まで放送されたNHK朝の連続ドラマ「どんと晴れ」。
 
 舞台は主に盛岡と横浜で、あらすじはというと……


 ヒロインは横浜生まれ横浜育ちの浅倉夏美。実家のケーキ屋で働く見習いパティシエだ。
 そんな彼女は横浜のホテルで働く加賀美柾樹と婚約していた。

 柾樹の実家は盛岡の老舗旅館「加賀美屋」。そこを取りしきる大女将である祖母が体調を崩したことから実家を継ぐことになる。
 そのため夏美も実家を出て「加賀美屋」で女将修行をする決心をし、伝統と格式の中で孤軍奮闘しながら成長していく。

 実際のドラマはそんな単純なものではなく、その間にいろいろな難題、問題が繰り広げられて話は進んでいった。


 柾樹の住む横浜のアパート「ベリテ樹ヶ丘」は、急な階段の途中にあるという設定。その撮影現場が本牧なのであった。


 

 この階段の下は行き止まりである。
 しかも上は狭い道。
 
 ロケハンの方々が、よくこのような場所を見つけてきたものだと感心する。
 
 

 アパートの横には、こんなお洒落なポールも建っている。
 これは撮影のために造ったものではなく、実際に使っているもの。
 
 私も一度くらい、こんなアパートに住んでみたい。