接収時代の本牧。
山手警察署の向かい側のエリアⅡに、米軍の施設がまとまって建っていたことは、前回ご案内したとおりです。
今日ご紹介するのは「Bill Chickering Theater」、「U.S. Navy
Commissary Store」、「Nile C. Kinnick High School」。
まず最初は「Bill Chickering Theater」からご覧いただきましょう。(1976年頃)
ここは映画館だったのですが、写真にもあるように、当時日本人の間で流行していた「インベーダーゲーム」を導入するという横断幕を掲げているところを見ると、ゲームセンターも併設していたようです。
日本の若者たちがインベーダーに熱中したように、アメリカ人もこの中でピコピコやっていたのでしょうか。
ちなみに、劇場名は従軍記者チカリングの名前に由来するとか。
次は「U.S. Navy Commissary Store」。日本語で言えばアメリカ海軍売店でしょうか。
しかし、前回ご紹介した「YOKOHAMA NAVY EXCHANGE」も海軍売店。
この2施設は並んで建っていたから、同じ売店だとすると不自然ですね。
「Commissary Store」は売店より大型のショッピングセンターということなのかもしれません。
どなたか両施設の違いをご存知の方いらしたら、教えてくださ~い。
さて、最後はアメリカ人子弟のための学校です。
写真はNile C. Kinnick Middle School。エリアⅡにあった米軍の中学校です。
もともと、ここは本牧小学校でした。
同校は学制施行と同時に明治6年、洗心学舎として天徳寺内に設立された歴史ある小学校でしたが、昭和22年、本牧地区一帯が米軍により接収されたため廃校となり、その跡地にNASGUB BEACH Elem. School(米軍小学校)ができました。
その後、そこはNile C. Kinnickハイスクールになり、最後はNile C. Kinnick中学校として終了しました。
建物は1970年代半ばまで残っていたと思います。
ここの卒業生が同窓会のホームページをつくり、本牧に住んでいたころを懐かしがって、いろいろなことを書いています。
なかには昔の写真なども掲載されていて、読んでいくと時間が経つのを忘れてしまうほど。
本牧とアメリカ。
接収された側と進駐軍。
お互いの立場は違っても、同時代を過ごした昔の若者たちが“あの頃”を懐かしむ気持ちは共通のようです。
ほかにも、こんなサイトがあります。
Japan-Guide.comのなかで盛り上がっているYokohama Navy
Exchange was where? というフォーラム。
前回ご紹介したYokohama Navy Exchangeがどこにあったか?を巡って、今日まで5年間も意見交換が続いています。
初めまして、私は50~60年代本牧で酢gpしました。
返信削除当時米軍施設(ARIA1、ARIA2)に日本人家族が3所帯住居していた記憶があります。
本牧のPXも知り合いがいた関係で、映画館、レストラン、ボーリング場は利用したことがありました。
YOKOHAMA NAVY EXCHANGEの話ですが、映画館の右側の正面大きなマーケットは免税品を扱っていました。米軍でも無税で替える量が決まっていて、一ヶ月にたばこ2カートン、ウイスキー3本とか決まっていました。
自分で飲んだり、すったりしない人は、免税品をバーに売って、小遣い稼ぎをしていたようです。
PXは左手より、床屋、美容院、ドラッグストアー、免税店、映画館、レストラン、ボーリング場。
ボーリング場の裏にガソリンスタンド、自動車整備工場、両替場も裏にあったと記憶しています。
当時1ドル=400円で両替えして、自販機でお菓子を買った事もありましい。
懐かしい本牧の思い出です(間門小卒)