2009年9月30日水曜日

米軍施設の思い出



今の山手警察署のある辺りから間門方面にかけて、かつては米軍の広大な接収地が広がっていた。
 そこには、先日の「横浜地図博覧会2009」で展示されていた終戦後の地図にも見られたように、広いエリアに戸建ての住宅がポツポツと建っていた。
 

 本牧通りを挟んで、海側の住宅地がエリアⅠ、山側がエリアⅡと呼ばれ、芝生の美しい大きな住宅から出てきた金髪の子供たちが、ブランコで遊んでいるのをうらやましく眺めていたものである。
 まさにアメリカ、そのものだった。

 そんな米軍家族が買い物をしていたのが、「YOKOHAMA NAVY EXCHANGE」。海軍の売店である。


 接収解除後この建物は解体。跡地は新本牧地区として区画整理され、現在はマンションなどが建っている。
 それがどの場所だったのか、だんだん記憶が薄れてきて分からなくなってきたので、昔の地図と現在の地図で比べて確認してみた。

 
 これは昭和55年(1980)頃の姿。
 左のほうに山手警察署が見えているが、これは現在と同じ場所。
 その向かい側に米軍施設が建っていたのである。


 
 そして現代。

 新しい道路もでき、高層集合住宅が建っている。


2009年9月29日火曜日

これが260円弁当だ! (本牧・全日食Z-one)



本牧1丁目にある「全日食 Z-one マサミヤ」。食料品や日用品を売る中型のお店です。

 

 そしてこれが、ここで売られている260円弁当。


 
 ハンバーグ弁当です。さすがに260円ということで、盛りだくさんというわけにはいきませんが、それなりにオカズが入っています。

 中区日本大通のコンビニ「gooz」で売っている390円弁当にもひけをとらない内容でしょう。
 
 

 弁当以外にも惣菜を量り売りしています。
 お客さんは大皿に盛られたオカズの中から、好きなものを好きなだけ容器に詰めて、100gあたり幾らという計算で買うことができます。

 大型スーパーマーケットにはない、中型食品店ならではの販売方法のようです。
 弁当もそれなりに美味しかったので、次回は惣菜に挑戦してみます。

手づくり弁当が260円! 本牧一安い弁当か?



マンション1階で食料品・日用品を売る「全日食Z-ONE マサミヤ 本牧店」。

 

 そのガラス戸に、こんな張り紙が出ていた。

 

 なんと、手づくり弁当が260円で売られているのだ!
 おそらく本牧で一番安い弁当なのではないだろうか。
 
 ところで、全日食とは何なのだろうか? どういうチェーン店なのか、調べてみた。

 以下、会社のホームページから。

 全日食チェーンは、スーパーマーケットの存在が次第に大きくなってきた昭和371962)年、中小の小売店が大手に対抗するため自助努力を原点として結束し共同仕入れを目的に東京フード株式会社を設立したことが始まりです。
 その後、ボランタリーチェーン活動に乗り出し、組織を拡大しながら昭和43年に現社名の全日本食品株式会社と改め、平成132001)年には創立40年を迎えるに至りました。
 いまでは北海道から沖縄までナショナルチェーン化が進み、日本最大の小売り主宰のボランタリーチェーンとして1,800店余の加盟店が組織化され全国各地域で活動しています。
 
 全日食HP・・・http://www.zchain.co.jp/index.html

 ふ~ん、そういう店だったのね。
 全国的にシャッター商店街が増加しているなか、このような形式で営業している店は多いようだ。

 さて、肝心のお弁当はどうなのか。
 それは、また後日。

〔お店情報〕
◆全日食Z-ONE マサミヤ 本牧店
◆住所 中区本牧町
◆電話 045-621-7017

2009年9月24日木曜日

本牧でナツメを収穫



本牧にお住まいの方が自宅の庭先からナツメを収穫して、「4南元気づくりの会」の集まりに持ってきてくれた。
 ナツメというのは、漢方薬の材料として名前だけは知っていたが、生の果実を見るのは初めて。

 果物店に並ぶこともないから、知らない人の方が多いかもしれない。
 だから、名前を教えられずに「これ、何ぁ~んだ?」と聞かれた時は、誰も答えられなかった。

 これが、そのナツメである。

 

 夏に芽が出ることから「夏芽」と表記されることもあるが、漢字では「棗」と書く。
 
 齧ってみると、青リンゴの酸っぱさを感じる味。それもそのはず、ナツメはリンゴ科の植物なのだ。
 
 そんなナツメを使って町おこしをしているところがある。福井市小幡町地区(旧坂井郡棗村)。
 2.5㌶の休耕田に3000本のナツメを植え、昨年は8㌧の収穫があったという。

 実のほとんどは乾燥ナツメ、ナツメエキス、菓子などの加工用に回り、生の果物として売られる量は少ない。しかも生ナツメ販売は現地のみ。

 将来的には農園を地域住民と観光客の触れ合いの場にし、地域の活性化、町おこしにつなげていくそうだ。

2009年9月15日火曜日

高齢者の集うレトロ喫茶店「アンデルセン」@本牧1丁目



不思議な喫茶店である。

 何がって? レトロなのは店の佇まいだけではなく、経営者をはじめ、お客さんもみ~んな高齢者なのだ。

 

 かつて伊勢佐木町に老人ばかりの喫茶店「たぬき」というのがあった。あそこは妙に静まり返っていたが、ここ「アンデルセン」はなかなか活気があって皆さん元気バリバリ。

 昼過ぎには近隣から三々五々、後期高齢者や前期高齢者が集まってくる。
 皆さん常連らしく、一杯200円のコーヒーを飲みながら、「今日は〇〇さん、遅いわねぇ」とか、「〇〇さんが入院したんだって!」などとお喋りに花を咲かせている。

 

 とくに一人暮らしの高齢者にとっては、ここが憩いの場、情報交換の場になっているようだ。
 なかには「家に一人でいてもつまらないからねぇ」などと話しかけてくる方も。

 軽食も用意されていて、長居しているお婆さんが昼食に焼きそばを食べていたりする。
 チャーハン、ハヤシライス、カレーライス(各500円)のほか、焼き魚定食もある。
 
 カレーライスミーティングをやっていた中田市長が辞任し、後任に選ばれたのは「林」市長。
 これからはハヤシライスミーティングが開催されるのではないかと予想し、ハヤシを注文するも品切れとのこと。
 「アンデルセン」ではレトルト食品をつかうのではなく、自前で作って提供しているそうだ。
 しかし、最近はハヤシを注文する人がいなくて、寒くなるまでは当面は作らないという。

 で、代わりに食べたのが、こちらのカレーライス。 

 

 よく煮込まれていて、普通に美味しい。
 

 この「アンデルセン」の隣にも喫茶店「幸」があって、こちらも似たような使われ方をしている。
 以前ご紹介した千代崎町市場内の「鈴屋」さん、そしてこの両喫茶店。地域内の商業施設が高齢者福祉の一翼を担っている。

■お店情報■
店名:喫茶「アンデルセン」
住所:本牧町1-98
電話:045-623-9927

2009年9月13日日曜日

黒船物見遊山 ベイサイドコース・本郷町商栄会(3)



山手本通りを歩き「港の見える丘公園」に出る。横浜を代表する観光名所であり、デートスポットでもあるこの公園は昭和37年の開園。
 


 犬道芸?

 よくよく見ると「犬」ではなく「大」だった。こんな位置にビスを打つから紛らわしくなる。


 この看板のところから少し先に進むと、「フランス山地区」である。
 幕末から明治初期にかけてフランス軍が駐屯したことから、この名がつけられている。軍隊が撤退したあとはフランス領事公邸が建てられていたが関東大震災で倒壊。
 その後、昭和5年に建て直されたが、それも昭和22年の失火で焼失してしまった。

 数年前、横浜市が公園の再整備工事を行ったが、その際に当時の貴重な遺構が発掘され、一部が歴史的資料として展示されている。
 遺構の傍には揚水用の風車が。
 
 
 
 もちろん当時のものではなく再現したものだ。
 しかし、フランス領事公邸の風車がどんな姿をしていたのかを伝える資料や写真がないため、仕方なく同時代の風車の写真を参考にして再現したという。
 その同時代の風車というのが「フェリス女学校」と「ヴィラ・サクソニア」である。

 


 ↑の記事の中でヴィラ・サクソニアについては、こう書かれている。

 『風見羽根に「ヴィラ・サクソニア」と記された風車の写真ものこっている。場所は特定できないが、山手居留地である。』

 ところが、この場所を発見した人がいるのだ。
 「横浜古壁ウォッチング」というサイトを立ち上げている方が、その経緯を書いておられるのでご紹介しておこう。

 厳密に言えば、そこは本郷町ではないのかもしれないが、そのすぐ間近である。
 黒船物見遊山の出発地点のすぐ近くだったのだ。

 山手の観光地で有名なものが、意外にもこの地域と隠れた関係があったとは、なんだか嬉しくなってくるような話である。

(おしまい)

2009年9月11日金曜日

黒船物見遊山 ベイサイドコース・本郷町商栄会(2)



さて、初めて参加した黒船物見遊山であるが、気になるところがある、と前回の記事で書いたので、今日はそのことについて考えてみたい。



 この日のコースは「本郷町~上野町~元街小学校~代官坂上~外国人墓地~港の見える丘公園~フランス山~山下公園~大さん橋」という行程だったので、この中には歴史的建造物やら旧跡などがギッシリ入っていた。
 しかし参加者はゴール地点に向かって旅をすることが第一目標のようで、ほとんどこれらには見向きもせず歩いていたのが残念だった。

 今回の黒船物見遊山の目的の中に「街の魅力を市民が再発見する機会を創る。それによって横浜の歴史に対する関心や、郷土愛を高める」という一項が入っている。

 できれば、洋館好きのガイドとか、歴史マニアとか、あるいはシティガイドのような方々を組み込んで、ポイントごとに解説を聞きながら歩ければもっと良かったのではないかと思う。

 

 これは以前から気になっているもの。
 場所は本郷町のお隣の上野町。五叉路の鋭角的な分かれ道部分に建てられているので、見た目も絵になる風景である。

 ポールの下にはコンクリート製の台座があり、しかも3方を手摺状のパイプで囲まれている。
 鯉のぼりの柱なんかではなさそう。昔から大事にされている、由緒あるポールのようだ。

 台座には「皇紀二千六百年記念」のプレートが。昭和15年(1940年)の祝賀で建てた国旗掲揚塔だろう。
 これが建てられたときの様子とか、ここにまつわる話などを聞けたらよかったのだが…


 さて、物見遊山の一行は、ここから山手の丘に向かう。
 代官坂上に飛び出すと、付近一帯は旧跡・歴史的建造物の宝庫だ。
 この坂名の由来となったお代官様をはじめ、それぞれのポイントごとに貴重な歴史や、興味深い逸話が残されている。
 
 そんな中に、本郷町に深くかかわる建物やエピソードがあった。
 その一つは山手十番館横にある「山手資料館」。

 

 山手の洋館群の象徴的な存在で、ずっと以前からここに建っているように思われているが、実は他の場所から移築されてきたのである。

 ここに来る以前は、同じ中区内の諏訪町にあった。昭和4年から昭和52年まで園田邸として使われていたのである。
 その地がマンション開発されることになり、洋館も解体される運命だったのを、「十番館」オーナーがこれを救うために買い取り、現在のレストラン地先に移築したという。

 中区諏訪町にあったというこの洋館、最初に建てられたのはその地でもなく、実は中区本牧上台57番地であった。
 では、中区本牧上台57番地というのはどこなのか。この一帯は昭和3年に町名地番変更が行われており、現在は中区本郷町2目6162番地にあたる。今年の黒船物見遊山の出発点となった「グルッペ本牧」の近くなのであった。

 山手の有名な観光名所である「山手資料館」の出生地は、本郷町だったわけだ。
 昭和レトロな雰囲気の本郷町。そんな町に、かつてはドイツ風の洋館が建っていたとは、驚きの発見であった。

〔参考〕

 さて、この本郷町と山手の有名観光地との関係は、コレだけではなかった。
 意外なものが、つながっていたのである。それもドイツがらみだ。

 この続きは、また後日。

(つづく)

2009年9月7日月曜日

黒船物見遊山 ベイサイドコース・本郷町商栄会(1)



江戸時代末期、横浜に黒船がやって来たとき、近隣の人々は海まで歩いてそれを見に行ったという。
 「黒船物見遊山 横浜商店街ウオークラリー」は、そんなエピソードに基づき、市民が横浜の商店街に立ち寄りながら、名所・旧跡、歴史的建造物を巡って街歩きを楽しむイベントとして2006年に初めて開催された。4回目となる今年は開港150周年。ペリーが上陸した地点に近い大さん橋がゴールとなった。

 私が参加したのはベイサイドコースB。本郷町商栄会が出発地点である。



 グルッペ本牧(旧上台市場)前で受付をしてもらい、紀文のカマボコ板を使った“通行手形”を受け取る。

 

 出発前には路上で「沖鶴エイサー会」による演奏と演舞。
 最初は静かな曲から始まったが、最後は派手なカチャーシー。
 両手を挙げて頭の上をかき混ぜるような踊りは、天から福がたくさん貰えるようにという意味がこめられているとか。

〔参考〕
沖鶴エイサー会:http://okitsuru.com/

 ウオークラリー前のイベントが終わると、参加者は沖鶴会のメンバーに送られて三々五々、出発。
 
 普通なら本牧通りを元町方面に進み、そこから山下公園を経由して大さん橋へというのが一般的なコース。
 しかし、この日の参加者の大半は、上野町~元街小学校~代官坂上~外国人墓地~港の見える丘公園~フランス山~山下公園~大さん橋という丘超えのコースをたどった。

 この道の途中には、名所・旧跡、歴史的建造物がたくさんあるのだが、ほとんどこれらには目もくれず歩き続けるだけのグループも。
 なんだかもったいなぁ…と思う。

 黒船物見遊山実行委員会が発表しているイベントの目的はこうである。

◇横浜の旧街道や名所・旧跡、歴史的建造物や商店街を巡りながら歩くことを通じて、これまで見過ごしていた街の魅力を市民が再発見する機会を創る。

◇また、それによって市民の横浜の歴史に対する関心や、郷土愛を高める。

 そうであるならば、道中に現れる旧跡・歴史的建造物に対する解説などを行うべきだったのではないだろうか。
 たとえば横浜シティガイド協会とコラボするとか、いくつか方法があったと思う。
 
 この辺の話はまた次回に譲るとして、今年の「黒船物見遊山」ゴール地点で見たものは、

黒船ではなく



灰色船だった!

(つづく)

2009年9月2日水曜日

本牧十二天 むかし、いま、そして未来



本牧神社の由緒沿革にはこう書かれている。

『本牧神社(旧称・本牧十二天社)は、旧来、本牧岬の先端(本牧十二天1番地)に張り出した出島の中に鎮座し、巨古木蒼然たる杜に囲まれ、鳥居の脚元には波濤打ち寄せる風光明媚な鎮守様でありました。
 その様子は江戸名所圖絵にも「本牧塙 十二天社」として描かれ、江戸湾を往来する廻船からは航海安全、地元民からは守護神と崇められ、本牧十二天の地に800年以上も鎮座してあつい信仰を受けていたのです。
しかし、先の大戦の終戦直後の1946年、この本牧地区は23万坪に及ぶ進駐軍の強制接収に遭い…』
以来、神社は本牧町2丁目に仮遷座を余儀なくされ、多くの氏子共々、苦難の時期を過ごしていた。

 
 












▲1975年頃の本牧十二天

 















 ▲本牧2丁目に立つ本牧神社跡地の看板

 1982年、本牧一帯が返還されたが、もはや神社は元の「本牧十二天1番地」には戻れず、現在の「本牧和田」に遷座された。

 なお、別当寺であった多聞院の由緒書では、十二天のいわれについて、こう伝えている。

『1263年正月、大日霊女命の像が本牧の海に漂ってきた。それを拾い上げ祠を建て村の総鎮守とした。いつの頃か、僧侶の手によって仏説十二天(日天・月天・火天・水天・風天・地天・梵天・毘沙門天・大日在天・閻魔天・帝釈天・羅刹天の十二神)を神前に祀る』

不思議な路地



本牧町を歩いていたとき、不思議な路地に迷い込んだ。

 

 宮崎駿作品に出てきそうな路地。
 
 向こうからお婆さんが歩いてくる。


 

 すれ違ってから振り向く。

 

 フェンスの向こうは、米軍ハウスではなく、

 樹木や草が茂っていた。


 不思議な路地だが、グーグルの航空写真でここを見ると、住宅街の中にポツンと緑が固まって残されているのが分かる。