2009年9月2日水曜日

本牧十二天 むかし、いま、そして未来



本牧神社の由緒沿革にはこう書かれている。

『本牧神社(旧称・本牧十二天社)は、旧来、本牧岬の先端(本牧十二天1番地)に張り出した出島の中に鎮座し、巨古木蒼然たる杜に囲まれ、鳥居の脚元には波濤打ち寄せる風光明媚な鎮守様でありました。
 その様子は江戸名所圖絵にも「本牧塙 十二天社」として描かれ、江戸湾を往来する廻船からは航海安全、地元民からは守護神と崇められ、本牧十二天の地に800年以上も鎮座してあつい信仰を受けていたのです。
しかし、先の大戦の終戦直後の1946年、この本牧地区は23万坪に及ぶ進駐軍の強制接収に遭い…』
以来、神社は本牧町2丁目に仮遷座を余儀なくされ、多くの氏子共々、苦難の時期を過ごしていた。

 
 












▲1975年頃の本牧十二天

 















 ▲本牧2丁目に立つ本牧神社跡地の看板

 1982年、本牧一帯が返還されたが、もはや神社は元の「本牧十二天1番地」には戻れず、現在の「本牧和田」に遷座された。

 なお、別当寺であった多聞院の由緒書では、十二天のいわれについて、こう伝えている。

『1263年正月、大日霊女命の像が本牧の海に漂ってきた。それを拾い上げ祠を建て村の総鎮守とした。いつの頃か、僧侶の手によって仏説十二天(日天・月天・火天・水天・風天・地天・梵天・毘沙門天・大日在天・閻魔天・帝釈天・羅刹天の十二神)を神前に祀る』

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