2009年9月11日金曜日

黒船物見遊山 ベイサイドコース・本郷町商栄会(2)



さて、初めて参加した黒船物見遊山であるが、気になるところがある、と前回の記事で書いたので、今日はそのことについて考えてみたい。



 この日のコースは「本郷町~上野町~元街小学校~代官坂上~外国人墓地~港の見える丘公園~フランス山~山下公園~大さん橋」という行程だったので、この中には歴史的建造物やら旧跡などがギッシリ入っていた。
 しかし参加者はゴール地点に向かって旅をすることが第一目標のようで、ほとんどこれらには見向きもせず歩いていたのが残念だった。

 今回の黒船物見遊山の目的の中に「街の魅力を市民が再発見する機会を創る。それによって横浜の歴史に対する関心や、郷土愛を高める」という一項が入っている。

 できれば、洋館好きのガイドとか、歴史マニアとか、あるいはシティガイドのような方々を組み込んで、ポイントごとに解説を聞きながら歩ければもっと良かったのではないかと思う。

 

 これは以前から気になっているもの。
 場所は本郷町のお隣の上野町。五叉路の鋭角的な分かれ道部分に建てられているので、見た目も絵になる風景である。

 ポールの下にはコンクリート製の台座があり、しかも3方を手摺状のパイプで囲まれている。
 鯉のぼりの柱なんかではなさそう。昔から大事にされている、由緒あるポールのようだ。

 台座には「皇紀二千六百年記念」のプレートが。昭和15年(1940年)の祝賀で建てた国旗掲揚塔だろう。
 これが建てられたときの様子とか、ここにまつわる話などを聞けたらよかったのだが…


 さて、物見遊山の一行は、ここから山手の丘に向かう。
 代官坂上に飛び出すと、付近一帯は旧跡・歴史的建造物の宝庫だ。
 この坂名の由来となったお代官様をはじめ、それぞれのポイントごとに貴重な歴史や、興味深い逸話が残されている。
 
 そんな中に、本郷町に深くかかわる建物やエピソードがあった。
 その一つは山手十番館横にある「山手資料館」。

 

 山手の洋館群の象徴的な存在で、ずっと以前からここに建っているように思われているが、実は他の場所から移築されてきたのである。

 ここに来る以前は、同じ中区内の諏訪町にあった。昭和4年から昭和52年まで園田邸として使われていたのである。
 その地がマンション開発されることになり、洋館も解体される運命だったのを、「十番館」オーナーがこれを救うために買い取り、現在のレストラン地先に移築したという。

 中区諏訪町にあったというこの洋館、最初に建てられたのはその地でもなく、実は中区本牧上台57番地であった。
 では、中区本牧上台57番地というのはどこなのか。この一帯は昭和3年に町名地番変更が行われており、現在は中区本郷町2目6162番地にあたる。今年の黒船物見遊山の出発点となった「グルッペ本牧」の近くなのであった。

 山手の有名な観光名所である「山手資料館」の出生地は、本郷町だったわけだ。
 昭和レトロな雰囲気の本郷町。そんな町に、かつてはドイツ風の洋館が建っていたとは、驚きの発見であった。

〔参考〕

 さて、この本郷町と山手の有名観光地との関係は、コレだけではなかった。
 意外なものが、つながっていたのである。それもドイツがらみだ。

 この続きは、また後日。

(つづく)

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