山手本通りを歩き「港の見える丘公園」に出る。横浜を代表する観光名所であり、デートスポットでもあるこの公園は昭和37年の開園。
犬道芸?
よくよく見ると「犬」ではなく「大」だった。こんな位置にビスを打つから紛らわしくなる。
この看板のところから少し先に進むと、「フランス山地区」である。
幕末から明治初期にかけてフランス軍が駐屯したことから、この名がつけられている。軍隊が撤退したあとはフランス領事公邸が建てられていたが関東大震災で倒壊。
その後、昭和5年に建て直されたが、それも昭和22年の失火で焼失してしまった。
数年前、横浜市が公園の再整備工事を行ったが、その際に当時の貴重な遺構が発掘され、一部が歴史的資料として展示されている。
遺構の傍には揚水用の風車が。
もちろん当時のものではなく再現したものだ。
しかし、フランス領事公邸の風車がどんな姿をしていたのかを伝える資料や写真がないため、仕方なく同時代の風車の写真を参考にして再現したという。
その同時代の風車というのが「フェリス女学校」と「ヴィラ・サクソニア」である。
〔参考〕『有鄰』第429号
↑の記事の中でヴィラ・サクソニアについては、こう書かれている。
『風見羽根に「ヴィラ・サクソニア」と記された風車の写真ものこっている。場所は特定できないが、山手居留地である。』
ところが、この場所を発見した人がいるのだ。
「横浜古壁ウォッチング」というサイトを立ち上げている方が、その経緯を書いておられるのでご紹介しておこう。
〔参考〕古壁ウォッチング
厳密に言えば、そこは本郷町ではないのかもしれないが、そのすぐ間近である。
黒船物見遊山の出発地点のすぐ近くだったのだ。
山手の観光地で有名なものが、意外にもこの地域と隠れた関係があったとは、なんだか嬉しくなってくるような話である。
(おしまい)
0 件のコメント:
コメントを投稿