2012年11月22日木曜日

本牧の歴史に「へぇ〜」:タウンニュース 11月22日号



創業当時の様子を語るともえ書店の堀田さん(右)
創業当時の様子を語るともえ書店の堀田さん(右)

商店街ツアーに30人

 「第7回商店街うんちくツアー」が11月10日、中区本牧で実施された。これは地元の商店を巡り、その歴史やこだわりを聞くことでより商店街を好きになってもらおうと、第4地区南部元気づくり推進協議会が一昨年から実施しているもの。
 今回は30人以上が参加し、およそ1時間かけて3店舗を訪問。昭和23年に創業した「ともえ書店」では、戦後の営業状況や若者の活字離れについて、「山崎玩具人形店」では流行りのおもちゃを無駄なく取り揃える難しさなどが店主から語られた。

 大正元年から続く中華料理店「華香亭」では、元町と本牧を繋ぐ山手トンネルが無かった頃、リヤカーで山を越えて中華街に食材を仕入れに行っていた話などが披露され、参加者は「お店の裏話などが聞けて楽しかった」「利用したことがなかった店を知れて良かった」等と感想を話していた。
タウンニュース 2012年11月22日号より)

2012年11月10日土曜日

本牧を巡る「第7回商店街うんちくツアー」が開催された 交流会編


嶋田 今日の「商店街うんちくツアー」の主催者である第4地区南部元気づくり推進協議会が10月27日、この商店街を使って本牧ハロウィンを開催しました。参加者は200人を超えたそうですね。
いまイオンのある辺りはかつてアメリカ軍の接収地で、この時期になるとベースの中では本物のアメリカのハロウィンが行われていました。
昭和40~50年代ころだったでしょうか、うちの子供たちの友達の親がベースに住んでいて、彼らに呼ばれて中に入って行くと、袋一杯のお菓子を貰って帰ってくるんですね。
アメリカの美味しいお菓子で、アニスの味や香りが思い出されてきます。


【ここで留仙閣の肉まんとアンまんを配布。留仙閣は中華街の店で、工場が本郷町にある】



平成のはじめの頃、接収地の跡地にマイカルができて、やがてその辺でカボチャ祭りが行われるようになりました。そして最近は本牧・本郷町の商店街を巡る「本牧ハロウィン」が開催されています。
羽生田 いまハロウィンといったら原宿とか川崎が有名になっていますが、やはり本牧のベースの中のハロウィンが本物だったわけで、それに参加し肌で感じてきた本牧の人たちが始めた「本牧ハロウィン」は、それを受け継ぐ形で手作りでやっています。
ここにおられる町内会長さんたちが審査員になって、仮装コンテストも行っています。

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嶋田 ということで、最初に本牧の話題を紹介させていただきました。
さて、今日は皆さんから「私のヒーロー・ヒロイン」ということでアンケートを書いていただきました。
結果を見ると、赤胴鈴之助、鉄腕アトム、月光仮面などが出ています。このあたりは、今日見てきたおもちゃ屋さんとか本屋さんとも絡んでくるかと思います。
ということで本題に入る前に、本牧の図書館に関わる話題を2つ、ご紹介しておきたいと思います。一つは今、中本牧コミュニティハウスになっているところが、実は青少年図書館だったというお話です。
この施設の歴史について村田さんに少し喋っていただきます。



村田 今の中本牧コミュニティハウスがオープンしたのは10年前ですが、それ以前は中区青少年図書館でした。戦後の20年くらいは山手警察署がここに入っていました。その前、戦前は授産所でした。建物自体は昭和の初期です。
嶋田 青少年図書館は昭和42年にオープンしたのですが、それまでの横浜市には図書館は野毛の中央図書館しかありませんでした。子どもたちの勉強部屋という意味も込めて青少年図書館を各区に造り始めました。
もう一つ忘れてはならないのは本牧図書館です。
村田 昭和24年に今の本牧2丁目北部町内会会館の敷地を含む4軒分の土地に、横浜市立ではない、民間の本牧図書館というのができました。
10年くらいは木造でバラックのような建物でした。その後、建て替えて6角形か8角形の建物になったと記憶しています。図書館から本牧青少年の家になったと記憶しています。それが昭和53年頃まで存続していました。
嶋田 この本牧図書館を記憶している方は、いらっしゃいますか。
会場 ……
嶋田 だれもいらっしゃらない…。これは今後、調べていく必要があるようですね。
さて、中本牧コミハとその周辺をめぐって、かつては図書館が2つもあったというお話しでしたが、その本にしても、そもそもは本屋さんが必要だったわけで、お待たせしました、「ともえ書店」の堀田さんに、まずは現状からお話をしていただきましょう。



堀田 この十数年、業界新聞の記事を見ていると嘆きの言葉ばかりですね。出版物の発行部数はそれほど減ってはいないのです。ただ、雑誌ということでみると、話題の新刊雑誌というのは出ていません。むしろ歴史のある雑誌が廃刊に追い込まれています。
皆さんが情報を仕入れるのは、昔は雑誌や新聞だったのがラジオになり、やがて皇太子のご成婚を機にテレビが普及し、昨今はパソコン、携帯電話、スマートフォンなどができて、情報を得る手段がたくさんできてきた。
その中で皆さんが何を選択するかによって、その業界の趨勢が決まってきます。活字の文化はなくなることはないと思いますが…。
皆さんが接する書店の数は減ってきています。かつては1万軒を超える書店が組合に入っていたのですが、最近は6000軒ほどになっています。組合に入れない大手書店は郊外に広い売場を持った店を展開したり、駅構内などにたくさん店を出していますので、売り場面積はそれほど変わっていないのです。
ただ、昔からやっている10坪、20坪、30坪といった本屋さんが、後継者がいなかったりして高齢化し、体力が続かなくなり廃業というケースが、ここ5~6年、増えてきているようです。
嶋田 ともえ書店さんは昭和23年創業とお聞きしましたが。

堀田 父親はもともと本屋ではなく、いろいろなことをしていました。ただ文学青年で小説や戯曲などを趣味的に書いたりしていたので、蔵書はたくさんありました。
戦後は焼け出されて我々家族は長野県に疎開していました。父親の伯父さんである柳島さんが当時、本牧の差配をしていて、今の店の場所に土地があるから出てこないかという話があり、一人で出てきてバラックを建てて昭和23年頃までやっていたわけです。
その際に、自分の持っていた蔵書を戸板に載せて生活費を稼いでいたのです。その後、売ったお金で東京まで本を仕入れに行き、それを運んで来てまた売って、ということをしていました。そのうち毎日、問屋さんに顔を出すので顔なじみになり、日ごとの現金仕入れではなく1ヶ月まとめて支払いをする方式になり、かなり余裕が出てきたといいます。
当初は東京まで買出しに行っていたわけですが、やがて駅留めで配送になりました。桜木町駅まで送られて来た本を市電に乗って取りにいくのです。



嶋田 その頃の本というのは単行本なんですか。
堀田 いえ、ほとんど雑誌ばかりです。一番売れたのは『リーダーズダイジェスト』でした。ただ当時はまだ発行部数がそれほど多くないから、問屋さんからの仕入れは奪い合いだったですね。
本というのは委託販売なので、仕入れた数と返した数とを差し引きし、清算するわけです。あまりにも欲張って余分に持ってきて売れ残った本を多く返すと、問屋でもそれは困るわけです。そうなると次からの仕入れを減らされてしまう。そういう厳しさもありました。
駅留めの時代が何年か続き、やがて販路が広がってきて、問屋さんからトラックで各店まで運ばれてくるようになります。問屋と本屋との協定で、東京とその周辺の書店までの運送費は無料となっていました。横浜周辺までは無料だったのですが、それより神奈川でも西の方だと有料でした。今は全国どこでも運送料は無料になっています。

嶋田 問屋さんから書店に届いても店頭に並ぶとは限らないと聞きましたが。
堀田 本というのは原則、委託販売です。出版社と書店、そしてその間で流通を担っている問屋(取次ぎ)という三者がいて、それぞれの間で再販契約というのがあります。出版社が決めた価格は問屋でも書店でもそのまま同じ値段で売るわけです。昔は医薬品も化粧品もそうでしたが、今再販が認められているのは本と新聞だけですね。自由価格にすると業界がつぶれてしまうということが考えられたからです。
ですから、同じ本なら全国どこに行っても同じ値段で買えるわけです。
出版社から問屋に持ち込まれた本は全部、書店に配るという約束ごとがあるんです。
どんなつまらない本でも、問屋さんはすべてを傘下の契約している書店に配らなければなりません。書店は好むと、好まざるとに関わらず、置かれたものは支払わなければいけません。ところが売れないものをいつまでも置いておくと支払いが嵩んできて大変なことになります。そこで、自分の地域、客層、お店の規模を考慮して取捨選択しなければいけないわけです。
たとえば、この地域では科学専門の本は売れないと思ったら、店に出す前に返本してしまうわけです。
嶋田 本牧地区ではどんな本が売れますか。
堀田 本牧地区というのは熟成した町ですので、あれが売れない、これが売れないということはあまりない。ただ、この地域は商店街のある下町ということですので、あまり深い専門的な書物は中央の書店にお任せして、私のところではそういうものは置いていません。
昨今はコンピュータ社会ですので、地域の特性、客層、駅に近いか遠いか、郊外か都心部か、そういったデータを問屋さんが入力して、出版社から持ち込まれた書籍をコンピュータで総合的に判断して配本してくる、そんなシステムになっているので、あまり極端なものは入ってきません。
多分売れるであろうという本を問屋さんが送ってくるわけですが、必ずしもそうではない部分もあります。
一方でベストセラーの本ですが、たとえば黒柳徹子さんの『窓際のトットちゃん』は超ベストセラーになって全国で750万部も売れました。しかし、ああいう本でも欲しいときにはなかなか手に入らない。我々から言えば札束を刷っているようなものじゃないかと思うのですが、最終的に返品というリスクを負うのは出版社です。売れるからといってどんどん刷っても、ブームが去ったときにドカンと返品を抱えることになりかねません。そういうリスクがあるからなかなか再版しないとこもあるのです。
出版社が新聞広告で本をアピールします。しかし、有名な作家の本でも、売れると思われる本でも、第1回目は2~3万部しか刷りません(『窓際のトットちゃん』の初版は8000部だった)。そこで先ほどお話したように全国の書店は今、5000~6000店ですので、1店舗あたり平均で2,3部しか回ってこないわけです。しかし大手の書店がそれを何百という単位で持っていくと、末端の小さな本屋さんには回ってこないということも起きます。だからお客さんは「新聞では大きく宣伝しているのに、なんで本屋にないのか」という苦情も来たりするわけです。でも本が回ってこない。
嶋田 石原慎太郎さんの『太陽の季節』というベストセラーがありましたが、あれも一気に印刷しなかったのでしょうか。
堀田 あの頃もやはり同じですね。出版社というのは一度に大量印刷はしません。これは売れるということになってから2刷り、3刷り、4刷り…10刷り…15刷りというように、版を重ねて印刷してベストセラーになっていくわけです。
嶋田 直木賞とか芥川賞などの場合は、あらかじめ予想を立てて本を仕入れるとかはないのですか。
堀田 直木賞の場合は本になったものが対象になっているのですが、候補作というのが発表されるのが遅いんですね。もっと早く出ていれば読んでみて予想を立てることができなくはない。でもなかなか当るものじゃないです。
芥川賞の場合は、雑誌に掲載された状態で審査されますから本になっていないのです。受賞後に印刷していくわけで、あらかじめ予想を立てて予約を入れていたとしても、先ほどのお話のとおり刷り部数は少なくて大手書店にドンといきますから、小さな本屋さんには来るのは2刷りからという状況もあります。
嶋田 本屋大賞というのもありますが…
堀田 有名な作家や文芸評論家などに選ばれるのが直木賞や芥川賞ですが、この本屋大賞というのは書店の人たちが選んだものです。これを受賞すると確かに売れるのですが、でも1位になった作品だけですね。蓮舫さんじゃありませんが「2位じゃ駄目なんです」。
嶋田 本屋さんも大変なんですねぇ…



堀田 文芸書というのはその出版社のそれしかないわけで、これがベストセラーになると書店で取り合いになって、なかなか回ってこないということがあります。
これが園芸書とか育児本とか、あるいは占いの本とか、こういうのはいろいろな出版社が類似したものを出していますので、お客さんも選択できるわけです。ロングセラーもあります。
しかし、文芸書はそれしかないので、ブームになるとワーッと注文が殺到するのですが、物がない。よく言われるんですよ、「有隣堂にはあんなにたくさん積んであるのに、どうしてここには無いんだ」ってね。そういう声を聞くときがいちばん辛いです。
嶋田 中本牧コミュニティハウスの本は「ともえ書店」さんが納めているとお聞きしましたが。
堀田 はい。もともとは青少年図書館の時代からで、雑誌や書籍、読書感想文の対象となった本などを、図書館の予算の範囲内で納めていました。しかし、コミュニティハウスになってからは、施設が図書館としてだけではなく、いろいろなイベントを主催したりするようになったため、予算もそちらに回さなければいけないようで、本に占める割合はひと頃のような金額ではなくなっています。
嶋田 もう20年以上前になりますが、原田一郎さんとい青少年図書館の館長がいました。郷土史の本を充実させている館でしたが、そういった本を「ともえ書店」さんが納品していたというお話を聞いていますが、その頃の思い出なんかはありますか。
堀田 本の選択は図書館がやることですが、たとえば「地元に関した本が出ましたよ」とか「こんな本が出ましたよ」とかいった情報を差し上げたら、「そういう本なら図書館に置きたい」ということで納めさせていただいたこともあります。
嶋田 本牧ではこんな本を薦めたいというようなものはありますか。
堀田 地域に即したこういう本、そういうのはありません。ただ、横浜市関連の本のコーナーを作っています。こういうコーナーを大事にしたいと思います。
 それから地域の方が「こういう本を書いたんだよ」というお話があれば、お店に置いてあげるようにしています。ただ、自費出版はなかなか売れるもんじゃあないです。自分の趣味で「この本面白いよ」といって人に贈っても、なかなか読んでもらえない。読む人の心の琴線に触れるものでないと。
本を贈るということは、大変難しいことなのです。そこで昔から図書券が、そして最近は図書カードというものができているのです。お婆ちゃんが孫の入学祝に何か本を贈りたいのだけども、何を贈っていのか分からない。そんなときにカードを贈って、これで好きな本を買いなさいね、というのが図書カードです。
嶋田 そろそろ時間が迫ってきましたが…


堀田 最後に一つ。ここにおられる石田さん、そのお父さんは石田兵一さんといって、非常にカメラの好きな方でした。その石田さんが山の写真や昔の本牧の風景を撮影し、写真集としてまとめて出版しています。
当時は今の山手警察のあたりから接収地で、その向かい側に消防署、その先にPXなんかが並んでいました。米軍の給料は週給払いで、毎週金曜日が給料日でした。だから金曜日になるとPXの前は日本中の外車が集まってきたような光景が広がっていたものです。接収地を知らない人がみたら、これが接収地かと思うでしょうね。
嶋田 まだ買えるのでしょうか。
堀田 石田さんのとこに在庫があればですね。本牧の昔を知るには素晴らしい写真集です。
嶋田 本牧を扱った本では今の石田兵一さんの写真集と、『本牧のあゆみ』ですね。それから横浜市が出している季刊誌『横濱』の本牧特集。どれももう売り切れなんですね。とくに『横濱』は第2版までいったそうですが、ああいう雑誌で2版もいくというのは珍しいそうです。
さて、石田さん。先ほどから出ている写真集のお話をちょっと。
石田 あの写真集は『雲水伴侶』といいます。なんていう名前にしようかという話があって、子どもたちが案を出しても、全部だめでした。そんなとき、たまたまテレビを観ていたら、雲水が旅に出るとき伴侶を連れて行くという話で、そこで「うん、雲水伴侶に決めた」と言ったんです。だから写真と題名は何の関連もないのです。
嶋田 上高地や丹沢の写真には雲がたくさん写っているじゃないですか。
石田 父は丹沢を開発した人間で、横浜山岳会の創始者、スキー指導員の第1号でした。私の家内も編集に関わっていたのですが、家内にとってはこの本はあまり評判が良くなかった。というのも、ものすごくお金をかけていまして、実は台所を修繕したかったのですが、直そうと思ったら「もう金がないよ」といわれてしまって。
嶋田 さて、会場からなにかご質問は。
男性 私の住んでいる町では駅のそばに、今日行った書店くらいの大きさの本屋さんがあったのですが、ララポートができてすぐ消えてしましました。この本屋には店頭にない本もあったのですが、注文しておくと1週間以内に「来ました」という連絡があって、子どものころから利用していた本屋さんなので、残念な気がしています。
嶋田 ともえ書店さんでも、こういったやり取りを楽しみにしているお客さんはいらっしゃるんでしょうね。
女性 歳とって来たせいか、読むスピードがだんだん遅くなってきています。
嶋田 同じ人でも歳とともに、読む本が変わっていくんでしょうね。
堀田 本から離れてしまうというのは眼の問題が大きいですね。老眼になって本が読みにくくなってきます。それが原因で本を読まなくなってしまうわけです。私は安い老眼鏡をベッド、食卓、トイレに置いて、どこでも読めるようにしています。
話は変わりますが、昔は本屋というのは周辺の本屋さんの了承がないと開店できなかったんです。私の父親が本屋業界に入ったときは、麦田の弘集堂さん、千代崎町の勉強堂さん、本牧の祥雲堂さん、この3軒の判子が必要でした。今はそんなことはありません。


男性 この地域に住んでいる、活動している作家の方のエピソードはありますか。
堀田 自分が小中学生の頃ですが、山本周五郎さんが本牧間門の「間門園」を書斎代わりに使っていました。父親の話では間門から麦田までよく散歩していて、その途中ふらりと店に入ってきたこともあったそうです。
評論家の紀田順一郎さん、若いころは「喜月堂」さんの裏の方に住んでいたそうで、そのことも何かに書いてありました。千代崎町の「勉強堂」さん、戦前からやっている歴史ある書店なんですが、その店頭で本を立ち読みしていたら、先々代の店主にハタキを持って追いかけられた、なんてこともどこかの本に書いてあります。
私が親のあとを継いだのは23歳のころだったので、もう50年くらい前のことになりますが、店の本の包み紙を自分でデザインしました。そんなことはすっかり忘れていたのですが、今から6、7年前ですか、紀田さんが全国の書店の包み紙に関する本を出されたそうなんですね。わたしは知らなかったのですが、ある人から「お宅の包み紙が本に載っているよ」といわれて、その本を見たけれど思い出せないのです。でもよく見るとうちの電話番号が(2)局になっているんですね。これで「ああ、そういえばだいぶ前にデザイン帖なんかを見ながら作ったなぁ」と思い出した次第です。
たぶん紀田さんが本牧に住んでいたことから、たまたまうちを取り上げてくれたんではないでしょうかね。
嶋田 いいお話でした。紀田さんという方は現在、山手にある「神奈川近代文学館」の館長をされております。それにしても紀田さんはこういうものまで集めていらっしゃるんですね。
男性 これから電子ブックが流行してきますが、これから本屋さんとはどういう関係になっていくんでしょうか。
堀田 こういうものが登場してきて、これから本屋としてどう対応していけばいいのか、まだはっきりした答えは出ていないのです。電子ブックといっても、昔のビデオであったVHS対ベータのような規格の違いがあって、まだ一本化されていません。普及にはまだ時間がかかるでしょう。出版社のほうでも昔の本は電子ブックに移したりしていますが、これから出す新刊本についてはどうするか、はっきり決まっていないようです。
言えることは、映画のようにDVDのような装置で見るのではなく、音楽をダウンロードするようにどこかで端末に取り込んで読むという形になるでしょうね。それでも、その出先がどこになるのか、書店になるのか、そういったことはまだまだ分かっていません。我々も暗中模索の段階です。
女性 嶋田さんが書かれている本は?
嶋田 個人名で書いたものはありませんが、共同執筆ということで書いているものが少しあります。『本牧のあゆみ』も石田さんのお父様に助けていただきました。
以上で、今日の交流会を閉めさせていただきます。
羽生田 先ほどツアーで「ともえ書店」さんを短い時間ですが訪問しました。ご興味のある方はこのあとお店に行っていただけるといいですね。
ちなみに営業時間は夜の12時まで。しかも元旦だけ休みますが、あとは年中無休です。


佐久間 みなさん、長時間お疲れ様でした。今日は堀田さんのお話を聞きましたが、今回は第7回目ということで、これまでに24店舗ほどを訪問しお話を聞いてきました。皆さんからそれなりのご苦労、うんちくをお伺いしてきました。そこでは商人の本当の辛さ、苦労を伺うことができたのではないでしょうか。

皆さんご存知かもしれませんが、いわゆるメンソレータムや西川産業で有名な近江商人、大坂商人、江戸商人、甲州商人、いろいろいますが、そのなかで名古屋の商人は真ん中で、西にも東にも行けないという苦労をされてきました。ここから有名な1尺足りないサラシ、これが1反だということで節約したというお話も生まれました。名古屋帯、いわゆる文化帯も生まれました。
次の機会も商人を応援してやっていただきたいと思います。
羽生田 本も電子化が進んでいくし、お買い物もインターネットでできる時代になって来ましたが、本牧の商店街は店主の顔の見える、体温を感じられるお店が並んでいます。これからもよろしくお願いいたします。

本牧を巡る「第7回商店街うんちくツアー」が開催された(4)



 今まで我々は明治時代末期の開業だと思っていたのですが、開業は大正元年で、私は3代目になります。
 実はこの先に小槻理髪店というのがあって、そこの先代が細かく日記をつけていまして、その中に小槻理髪店が開店した年に華香亭も開店したと書いてあったんですね。

 最初に開業したのは私の父の伯父でした。
 父親から聞いた話では、当時は麦田のトンネルもなく、関内方面から本牧に来るには、中華街で仕入れた材料をリヤカーに積んで代官坂を登って本牧に来ていたそうです。
 坂には押し屋がいて駄賃を払って押してもらっていたといいます。

 そして当時は、この辺はかなり賑やかだったとも。



 その頃の中国は貧しくて、うちの田舎の人たちはこの店に居候して、料理を学んでからあちこちに散っていきました。昔は広東系のコックさんでうちの店を知らない人はいませんでした。
 
 父親の代のときに本牧に2,3軒支店を出したので、ここが本店となったわけです。今はここしかやっていませんが、その時の名残で華香亭本店となっています。
 
 この近くにキリンビールの工場があったため、この辺りには馬蹄屋さんもたくさんあったという話です。



(参加者)「喜月堂のところが馬蹄屋のたまり場だった」
古いお客さんや父に聞いた話では、この近くに芸者の置屋さんとか検番もあったそうです。
(参加者)「調度品が素晴らしいですね」



 この建物は戦後すぐバラックで建てたのを、昭和35年頃、現在の建物に建て直しています。戦前の資料は戦災でやられてしまって、何も資料が残っていません。
 お客さんですか? ほとんど地元の方々です。よく、テレビとか雑誌に出さないかという話が来るのですが、二人だけでやっている店なのでみんなお断りしています。



(参加者)「バンメンが有名と聞いたので、それを食べなきゃと思うのですが…」



 お客さんによって、それぞれ好みが違います。
 それこそ昔は、五目そばが好まれていましたが、それは塩味が付いているかどうか分からないくらい薄い味でした。今の人はそれでは駄目ですね。

 それから昔はヤキソバといったら硬いヤキソバで、そこにモヤシのあんかけがのっていたものですが、いまではそういうのを食べる方は6分の1くらいになっています。


世の中が柔らかいヤキソバになっていっているので、うちの店でもそういうのを取り入れています。
営業時間は11時45分くらいから9時までなんですが、途中、2時半から5時半まで休憩を入れています。
定休日は水曜日で、10月はまるまる1ヶ月休みます。
(参加者)「どこかに行かれているんですか」
中国が半分、その他の国が半分ですね。中国は数多く行っていまして、チベットとかシルクロード、雲南とかが多いですね。
日本では中国料理というと一からげで考えている人もいますが、中国は広いので、いろいろな料理があります。
フランス料理、スペイン料理、ドイツ料理というぐらいの違いがあります。
いろいろな料理に出会いますが、それを店で出すかどうかはまた別問題です。
今、中国ではものすごい勢いで料理が変わってきています。この20年くらいで辛い料理もどんどん増えています。もともと淡白なものを食べている地域でも辛いものが広がっているんです。
(参加者)「中国の醤油はどんなんですか」
日本の醤油より少し塩分が少ないです。たまり醤油、薄口醤油、濃口醤油などがあります。揚子江から北では醤油を使う料理が多いです。
それからお酢も揚子江近くに有名な酢の産地があるので、北のほうでは黒酢を使う料理が多いようです。



(参加者)「あの大きな古時計はゼンマイで動いているんですか?」

 一週間に一度巻いています。温度で時間が違ったりしますけど。
 表に何も出していないし、古い建物だし、何十年も近所に住んでいて、ここが中華料理屋だとは気づかなかったとおっしゃる方もいました。
 昔から表にメニューも出したことなかったのですが、たまに新しいお客さんが来て不安になるようなので、少しだけ出すようにしました。



(参加者)「ガラス窓がステキですね、サッシじゃないし。文化遺産ですね」
古い建物でガタガタなんですよ。この前の地震のときなんか、中にいたお客さんがみんな外に飛びだしてね、逃げただけじゃなくて「これ潰れる~」なんて!
(参加者)「ここはもう横浜の文化財じゃないですか。お店としてはこのままいくのか、それとも今の時代に合わせて新しくしていくのか、その辺はどうなんですか?」
4代も続けて通っていただいているお客様もいらっしゃるし、あるいは、長いこと外国に行っていた方が戻ってきて久々にお店に来られると、昔のままでよかったとおっしゃるし、もうこのままでいくしかないでしょうね。(拍手)

【ここでシュウマイが登場】


昔、伊勢佐木町に博雅亭というお店がありました。うちの父親と仲が良かったのですが、あそこのシュウマイは大きかったですよ。
以前はシュウマイというと、普通は小型のものでしたけど。
今のものよりも小さかったと思います。それがだんだん大きくなってきたわけですが、博雅のシュウマイは、昔から大きかったのです。

本牧を巡る「第7回商店街うんちくツアー」が開催された(3)

山崎玩具店(本郷町商栄会)

   

本牧マーケット時代からですので、もう50年以上やっています。
(お話が始まってすぐ子どもがおもちゃを買いに来た)



 やっぱり、おもちゃは男の子です。いま買っていったものも、あの辺の空き地に座ってゲームをやるんですよ。店内の隙間でやっている子もいます。今はこういうカードゲームが流行っているんです。
 このゲームはもう15年も続いています。同じもので15年も続くというのは珍しいですよ。

 売っているカードはランダムに何枚か入っています。これを集めてデッキというものを作って、それで対戦するというゲームです。
 昔はプラモデルなんかを作っていましたが、最近の子は不器用なんでしょうかね、作らなくなってしまいました。



 説明書を読んで、部材を切って接着剤でくっつけて…ということが面倒くさいのでしょうか、だんだんできなくなってきているんですね。ハサミも満足に使えないわけです。

 だからメーカーも子どもさんに合わせて、切らなくてもいい、塗らなくてもいい、接着剤を使わなくてもいいようなものを作ってくるのです。だから接着剤を置いても売れないわけです。



(参加者)「昔は一つ作ったら、もうワンランク上のものを作りましょう、ということでしたよね」

 そう、そう、今は逆になっちゃっているんです、だんだん楽な方へ向っていく。だからプラモデルを作っているのはお父さんたちなの。
今の子がお父さんになっても作ってあげられない、教えてあげられないでしょうね。

(参加者)「プラモデルの作り方講習会なんかを開催したらどうでしょうかね、コミュニティハウスなんかを使って」
(参加者)「昔から、こういうおもちゃ屋さんというのは子どもの集会所じゃないですか」
(参加者)「今の大人はお店の中に入りたいんだけど、連れてきてもらわないと入れない。でも、一回入ったらあとは自分で来れるんです。子どもも同じなんですね」



 うちは主人が亡くなって3年ですが、2階には昔のおもちゃがたくさん残っているんです。その中にはマニアが喜びそうなものがあるのですが、彼らは「こんにちわ」でもなく音も無く入ってきて、いつのまにか何も言わずに帰って行きます。

(参加者)「ここのご主人はおもちゃにすごくこだわりのある人でした。昔、こどもの水鉄砲を買いに来たとき聞いたのですが、水鉄砲なんてみんな同じだと思うでしょ。でも違うんです、ここのご主人が仕入れていたのは日本で特許を取っているようなものでした。うんちくをたくさん語っていただき、それを買って帰ったのですが、ぜんぜん壊れない、そしてよく飛ぶんです。ここではお話をしながら買えるのが良かった」



 今は問屋さんが辞めていっちゃってね。小売店は大型店にかなわないから止めて行くでしょ、そうすると問屋さんも減ってくる。

(参加者)「このゲームカードはどのくらいあるんですか」

 もう15年も続いているゲームですから、ものすごい数だと思いますよ。
でも、今の子どもたちはこれを見て、自分が持っているか持っていないか、すぐ分かるんです。
そういうところはすごいですね。



posted by よんなん

本牧を巡る「第7回商店街うんちくツアー」が開催された(2)

ブックポート ともえ書店 (本牧リボンファンストリート商店会

 

高度成長時代は出版物を出せばどんどん売れました。大きな百科辞典も大型から、7巻ぐらいの中型や家庭百科まで、かなり購入されていた時代でした。
 美術全集とか、クラシックレコードと解説書をセットにしたものとか、これは一人の作曲家でも何種類か出版されてくるのですが、こういうものを毎月、定期的に購入する読者も大勢いた時代でもありました。



 それから、雑誌ですね。
 「週刊少年サンデー」、「週刊少年マガジン」というのが昭和30年代に創刊された。
 私らが子どものころは雑誌といえば月1回の発行でした。それを待ち焦がれて本屋さんに買いに行ったものですが、この頃から毎週楽しみが増えたわけです。

 出版件数もどんどん増えてきました。
 またテレビが普及してくると、テレビガイドなんかが売れ出した。情報誌なんかも同じです。そういう時代を経て、転換期が来ました。


 今から30年以上前ですかね、それまでは電車に乗っていると本を読んでいる若者が大勢いたのですが、あの頃からウォークマンを聞く若者が増えてきました。
 それでも耳は音楽を聞いているのですが、目は本を読んでいました。
 最近は携帯電話が普及し、目も耳もそちらに向っていますから本なんか読まない。
 昔は電車の中で読んだ雑誌なんかを網棚に置いていく人が多く、それを集めて駅の外で安く売るという商売があったのですが、今じゃあ、そういうことが成り立たなくなってしまいました。



 それから大きく変わったのは地図ですね。
 最近はカーナビなんかもオプションではなく、最初から付いていたりしますし、インターネットでも無料で閲覧できるわけです。
 そんなわけで地図を出版していた大手が、去年、一昨年で2軒倒産してしまいました。いま残っている地図の出版社でも地図だけではやっていけませんので、それに付随する観光ガイドなどを出しています。

 それから大きく変わってきたのは参考書です。
 今は塾自体がパソコンなどを使って自前で作ってしまいますから、だんだん減ってきています。少子化ということもあって、ここ2,3年で大手の参考書出版社が倒産しています。
 また最近は電子書籍なんかも出てきて、本屋さん自体も減ってきています。

 それから本の寿命ですが、昔は3ヶ月くらいあったのが、今じゃあ、早いのになると10日とか。次の話題作が出るとすぐに変わってしまいます。それだけ転換サイクルが早くなっています。
 だから100万部を超えるようなベストセラーは年に1,2作程度しか出ません。



 当店としては、入口近くにこうして「横浜関係のコーナー」を作って、少しでも横浜に関心を持ってもらうことに力を入れています。『横濱』というのが年4回出ています。
 これは横浜の坂道を扱ったものですが、前に本牧特集がありました。その時はものすごく売れましたが、今はもう在庫がありません。
 ただタイトルが「伝説の町・本牧」だったのがいけません。伝説じゃあ困りますよね、これからも発展していかなきゃいけないのに。

 本の表紙というのは顔です。出版社が力を入れている部分なんですね。
 今はインターネットで簡単に本が買える時代になりましたが、こうして本屋さんに足を運んで、実際に本の表紙を見て、中をパラパラと見て、本を買ってほしいと思います。
 
 ともえ書店は・・・こちらから
 http://www.honmoku-street.com/kameiten/bookport-tomoeshoten

posted by よんなん

本牧を巡る「第7回商店街うんちくツアー」が開催された(1)




 地元の商店を巡り、その歴史やこだわりを商店主に聞く「第7回商店街うんちくツアー」が11月10日、中区本牧で実施されました。

今回は、「ともえ書店」、「山崎玩具人形店」、中華料理店「華香亭」3店舗を訪問します。




 イベントは、本牧リボンファンストリートの小林会長のご挨拶から始まった。



小林会長
 今回はこの集会所の周辺のお店を回るということで、今までよりは手頃なコースになっていると思います。
私どもがここで薬局を始めたのは昭和23年ですが、そのとき既に「ともえ書店」さんは商売を始めていました。

 最近は書店が減少していく傾向にありますが、そんな中でも「ともえ書店」はずっと営業を続けておられます。
その努力は大変なものだと思いますが、継続していく何かコツがあるのではないかと思いますので、ツアーではその辺のところをお聞きいただくといいのではないでしょうか。

 あと、今日回るお店は歴史の古い中華料理店と、最近はカードゲームなどが流行っているおもちゃ屋さんです。
 それぞれ「うんちく」をお持ちですので、じっくりお話を聞いていただければと思います。



 会長のごあいさつのあと、参加者は2グループに分かれて商店街へ繰り出して行った。

(つづく)