2012年11月10日土曜日

本牧を巡る「第7回商店街うんちくツアー」が開催された 交流会編


嶋田 今日の「商店街うんちくツアー」の主催者である第4地区南部元気づくり推進協議会が10月27日、この商店街を使って本牧ハロウィンを開催しました。参加者は200人を超えたそうですね。
いまイオンのある辺りはかつてアメリカ軍の接収地で、この時期になるとベースの中では本物のアメリカのハロウィンが行われていました。
昭和40~50年代ころだったでしょうか、うちの子供たちの友達の親がベースに住んでいて、彼らに呼ばれて中に入って行くと、袋一杯のお菓子を貰って帰ってくるんですね。
アメリカの美味しいお菓子で、アニスの味や香りが思い出されてきます。


【ここで留仙閣の肉まんとアンまんを配布。留仙閣は中華街の店で、工場が本郷町にある】



平成のはじめの頃、接収地の跡地にマイカルができて、やがてその辺でカボチャ祭りが行われるようになりました。そして最近は本牧・本郷町の商店街を巡る「本牧ハロウィン」が開催されています。
羽生田 いまハロウィンといったら原宿とか川崎が有名になっていますが、やはり本牧のベースの中のハロウィンが本物だったわけで、それに参加し肌で感じてきた本牧の人たちが始めた「本牧ハロウィン」は、それを受け継ぐ形で手作りでやっています。
ここにおられる町内会長さんたちが審査員になって、仮装コンテストも行っています。

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嶋田 ということで、最初に本牧の話題を紹介させていただきました。
さて、今日は皆さんから「私のヒーロー・ヒロイン」ということでアンケートを書いていただきました。
結果を見ると、赤胴鈴之助、鉄腕アトム、月光仮面などが出ています。このあたりは、今日見てきたおもちゃ屋さんとか本屋さんとも絡んでくるかと思います。
ということで本題に入る前に、本牧の図書館に関わる話題を2つ、ご紹介しておきたいと思います。一つは今、中本牧コミュニティハウスになっているところが、実は青少年図書館だったというお話です。
この施設の歴史について村田さんに少し喋っていただきます。



村田 今の中本牧コミュニティハウスがオープンしたのは10年前ですが、それ以前は中区青少年図書館でした。戦後の20年くらいは山手警察署がここに入っていました。その前、戦前は授産所でした。建物自体は昭和の初期です。
嶋田 青少年図書館は昭和42年にオープンしたのですが、それまでの横浜市には図書館は野毛の中央図書館しかありませんでした。子どもたちの勉強部屋という意味も込めて青少年図書館を各区に造り始めました。
もう一つ忘れてはならないのは本牧図書館です。
村田 昭和24年に今の本牧2丁目北部町内会会館の敷地を含む4軒分の土地に、横浜市立ではない、民間の本牧図書館というのができました。
10年くらいは木造でバラックのような建物でした。その後、建て替えて6角形か8角形の建物になったと記憶しています。図書館から本牧青少年の家になったと記憶しています。それが昭和53年頃まで存続していました。
嶋田 この本牧図書館を記憶している方は、いらっしゃいますか。
会場 ……
嶋田 だれもいらっしゃらない…。これは今後、調べていく必要があるようですね。
さて、中本牧コミハとその周辺をめぐって、かつては図書館が2つもあったというお話しでしたが、その本にしても、そもそもは本屋さんが必要だったわけで、お待たせしました、「ともえ書店」の堀田さんに、まずは現状からお話をしていただきましょう。



堀田 この十数年、業界新聞の記事を見ていると嘆きの言葉ばかりですね。出版物の発行部数はそれほど減ってはいないのです。ただ、雑誌ということでみると、話題の新刊雑誌というのは出ていません。むしろ歴史のある雑誌が廃刊に追い込まれています。
皆さんが情報を仕入れるのは、昔は雑誌や新聞だったのがラジオになり、やがて皇太子のご成婚を機にテレビが普及し、昨今はパソコン、携帯電話、スマートフォンなどができて、情報を得る手段がたくさんできてきた。
その中で皆さんが何を選択するかによって、その業界の趨勢が決まってきます。活字の文化はなくなることはないと思いますが…。
皆さんが接する書店の数は減ってきています。かつては1万軒を超える書店が組合に入っていたのですが、最近は6000軒ほどになっています。組合に入れない大手書店は郊外に広い売場を持った店を展開したり、駅構内などにたくさん店を出していますので、売り場面積はそれほど変わっていないのです。
ただ、昔からやっている10坪、20坪、30坪といった本屋さんが、後継者がいなかったりして高齢化し、体力が続かなくなり廃業というケースが、ここ5~6年、増えてきているようです。
嶋田 ともえ書店さんは昭和23年創業とお聞きしましたが。

堀田 父親はもともと本屋ではなく、いろいろなことをしていました。ただ文学青年で小説や戯曲などを趣味的に書いたりしていたので、蔵書はたくさんありました。
戦後は焼け出されて我々家族は長野県に疎開していました。父親の伯父さんである柳島さんが当時、本牧の差配をしていて、今の店の場所に土地があるから出てこないかという話があり、一人で出てきてバラックを建てて昭和23年頃までやっていたわけです。
その際に、自分の持っていた蔵書を戸板に載せて生活費を稼いでいたのです。その後、売ったお金で東京まで本を仕入れに行き、それを運んで来てまた売って、ということをしていました。そのうち毎日、問屋さんに顔を出すので顔なじみになり、日ごとの現金仕入れではなく1ヶ月まとめて支払いをする方式になり、かなり余裕が出てきたといいます。
当初は東京まで買出しに行っていたわけですが、やがて駅留めで配送になりました。桜木町駅まで送られて来た本を市電に乗って取りにいくのです。



嶋田 その頃の本というのは単行本なんですか。
堀田 いえ、ほとんど雑誌ばかりです。一番売れたのは『リーダーズダイジェスト』でした。ただ当時はまだ発行部数がそれほど多くないから、問屋さんからの仕入れは奪い合いだったですね。
本というのは委託販売なので、仕入れた数と返した数とを差し引きし、清算するわけです。あまりにも欲張って余分に持ってきて売れ残った本を多く返すと、問屋でもそれは困るわけです。そうなると次からの仕入れを減らされてしまう。そういう厳しさもありました。
駅留めの時代が何年か続き、やがて販路が広がってきて、問屋さんからトラックで各店まで運ばれてくるようになります。問屋と本屋との協定で、東京とその周辺の書店までの運送費は無料となっていました。横浜周辺までは無料だったのですが、それより神奈川でも西の方だと有料でした。今は全国どこでも運送料は無料になっています。

嶋田 問屋さんから書店に届いても店頭に並ぶとは限らないと聞きましたが。
堀田 本というのは原則、委託販売です。出版社と書店、そしてその間で流通を担っている問屋(取次ぎ)という三者がいて、それぞれの間で再販契約というのがあります。出版社が決めた価格は問屋でも書店でもそのまま同じ値段で売るわけです。昔は医薬品も化粧品もそうでしたが、今再販が認められているのは本と新聞だけですね。自由価格にすると業界がつぶれてしまうということが考えられたからです。
ですから、同じ本なら全国どこに行っても同じ値段で買えるわけです。
出版社から問屋に持ち込まれた本は全部、書店に配るという約束ごとがあるんです。
どんなつまらない本でも、問屋さんはすべてを傘下の契約している書店に配らなければなりません。書店は好むと、好まざるとに関わらず、置かれたものは支払わなければいけません。ところが売れないものをいつまでも置いておくと支払いが嵩んできて大変なことになります。そこで、自分の地域、客層、お店の規模を考慮して取捨選択しなければいけないわけです。
たとえば、この地域では科学専門の本は売れないと思ったら、店に出す前に返本してしまうわけです。
嶋田 本牧地区ではどんな本が売れますか。
堀田 本牧地区というのは熟成した町ですので、あれが売れない、これが売れないということはあまりない。ただ、この地域は商店街のある下町ということですので、あまり深い専門的な書物は中央の書店にお任せして、私のところではそういうものは置いていません。
昨今はコンピュータ社会ですので、地域の特性、客層、駅に近いか遠いか、郊外か都心部か、そういったデータを問屋さんが入力して、出版社から持ち込まれた書籍をコンピュータで総合的に判断して配本してくる、そんなシステムになっているので、あまり極端なものは入ってきません。
多分売れるであろうという本を問屋さんが送ってくるわけですが、必ずしもそうではない部分もあります。
一方でベストセラーの本ですが、たとえば黒柳徹子さんの『窓際のトットちゃん』は超ベストセラーになって全国で750万部も売れました。しかし、ああいう本でも欲しいときにはなかなか手に入らない。我々から言えば札束を刷っているようなものじゃないかと思うのですが、最終的に返品というリスクを負うのは出版社です。売れるからといってどんどん刷っても、ブームが去ったときにドカンと返品を抱えることになりかねません。そういうリスクがあるからなかなか再版しないとこもあるのです。
出版社が新聞広告で本をアピールします。しかし、有名な作家の本でも、売れると思われる本でも、第1回目は2~3万部しか刷りません(『窓際のトットちゃん』の初版は8000部だった)。そこで先ほどお話したように全国の書店は今、5000~6000店ですので、1店舗あたり平均で2,3部しか回ってこないわけです。しかし大手の書店がそれを何百という単位で持っていくと、末端の小さな本屋さんには回ってこないということも起きます。だからお客さんは「新聞では大きく宣伝しているのに、なんで本屋にないのか」という苦情も来たりするわけです。でも本が回ってこない。
嶋田 石原慎太郎さんの『太陽の季節』というベストセラーがありましたが、あれも一気に印刷しなかったのでしょうか。
堀田 あの頃もやはり同じですね。出版社というのは一度に大量印刷はしません。これは売れるということになってから2刷り、3刷り、4刷り…10刷り…15刷りというように、版を重ねて印刷してベストセラーになっていくわけです。
嶋田 直木賞とか芥川賞などの場合は、あらかじめ予想を立てて本を仕入れるとかはないのですか。
堀田 直木賞の場合は本になったものが対象になっているのですが、候補作というのが発表されるのが遅いんですね。もっと早く出ていれば読んでみて予想を立てることができなくはない。でもなかなか当るものじゃないです。
芥川賞の場合は、雑誌に掲載された状態で審査されますから本になっていないのです。受賞後に印刷していくわけで、あらかじめ予想を立てて予約を入れていたとしても、先ほどのお話のとおり刷り部数は少なくて大手書店にドンといきますから、小さな本屋さんには来るのは2刷りからという状況もあります。
嶋田 本屋大賞というのもありますが…
堀田 有名な作家や文芸評論家などに選ばれるのが直木賞や芥川賞ですが、この本屋大賞というのは書店の人たちが選んだものです。これを受賞すると確かに売れるのですが、でも1位になった作品だけですね。蓮舫さんじゃありませんが「2位じゃ駄目なんです」。
嶋田 本屋さんも大変なんですねぇ…



堀田 文芸書というのはその出版社のそれしかないわけで、これがベストセラーになると書店で取り合いになって、なかなか回ってこないということがあります。
これが園芸書とか育児本とか、あるいは占いの本とか、こういうのはいろいろな出版社が類似したものを出していますので、お客さんも選択できるわけです。ロングセラーもあります。
しかし、文芸書はそれしかないので、ブームになるとワーッと注文が殺到するのですが、物がない。よく言われるんですよ、「有隣堂にはあんなにたくさん積んであるのに、どうしてここには無いんだ」ってね。そういう声を聞くときがいちばん辛いです。
嶋田 中本牧コミュニティハウスの本は「ともえ書店」さんが納めているとお聞きしましたが。
堀田 はい。もともとは青少年図書館の時代からで、雑誌や書籍、読書感想文の対象となった本などを、図書館の予算の範囲内で納めていました。しかし、コミュニティハウスになってからは、施設が図書館としてだけではなく、いろいろなイベントを主催したりするようになったため、予算もそちらに回さなければいけないようで、本に占める割合はひと頃のような金額ではなくなっています。
嶋田 もう20年以上前になりますが、原田一郎さんとい青少年図書館の館長がいました。郷土史の本を充実させている館でしたが、そういった本を「ともえ書店」さんが納品していたというお話を聞いていますが、その頃の思い出なんかはありますか。
堀田 本の選択は図書館がやることですが、たとえば「地元に関した本が出ましたよ」とか「こんな本が出ましたよ」とかいった情報を差し上げたら、「そういう本なら図書館に置きたい」ということで納めさせていただいたこともあります。
嶋田 本牧ではこんな本を薦めたいというようなものはありますか。
堀田 地域に即したこういう本、そういうのはありません。ただ、横浜市関連の本のコーナーを作っています。こういうコーナーを大事にしたいと思います。
 それから地域の方が「こういう本を書いたんだよ」というお話があれば、お店に置いてあげるようにしています。ただ、自費出版はなかなか売れるもんじゃあないです。自分の趣味で「この本面白いよ」といって人に贈っても、なかなか読んでもらえない。読む人の心の琴線に触れるものでないと。
本を贈るということは、大変難しいことなのです。そこで昔から図書券が、そして最近は図書カードというものができているのです。お婆ちゃんが孫の入学祝に何か本を贈りたいのだけども、何を贈っていのか分からない。そんなときにカードを贈って、これで好きな本を買いなさいね、というのが図書カードです。
嶋田 そろそろ時間が迫ってきましたが…


堀田 最後に一つ。ここにおられる石田さん、そのお父さんは石田兵一さんといって、非常にカメラの好きな方でした。その石田さんが山の写真や昔の本牧の風景を撮影し、写真集としてまとめて出版しています。
当時は今の山手警察のあたりから接収地で、その向かい側に消防署、その先にPXなんかが並んでいました。米軍の給料は週給払いで、毎週金曜日が給料日でした。だから金曜日になるとPXの前は日本中の外車が集まってきたような光景が広がっていたものです。接収地を知らない人がみたら、これが接収地かと思うでしょうね。
嶋田 まだ買えるのでしょうか。
堀田 石田さんのとこに在庫があればですね。本牧の昔を知るには素晴らしい写真集です。
嶋田 本牧を扱った本では今の石田兵一さんの写真集と、『本牧のあゆみ』ですね。それから横浜市が出している季刊誌『横濱』の本牧特集。どれももう売り切れなんですね。とくに『横濱』は第2版までいったそうですが、ああいう雑誌で2版もいくというのは珍しいそうです。
さて、石田さん。先ほどから出ている写真集のお話をちょっと。
石田 あの写真集は『雲水伴侶』といいます。なんていう名前にしようかという話があって、子どもたちが案を出しても、全部だめでした。そんなとき、たまたまテレビを観ていたら、雲水が旅に出るとき伴侶を連れて行くという話で、そこで「うん、雲水伴侶に決めた」と言ったんです。だから写真と題名は何の関連もないのです。
嶋田 上高地や丹沢の写真には雲がたくさん写っているじゃないですか。
石田 父は丹沢を開発した人間で、横浜山岳会の創始者、スキー指導員の第1号でした。私の家内も編集に関わっていたのですが、家内にとってはこの本はあまり評判が良くなかった。というのも、ものすごくお金をかけていまして、実は台所を修繕したかったのですが、直そうと思ったら「もう金がないよ」といわれてしまって。
嶋田 さて、会場からなにかご質問は。
男性 私の住んでいる町では駅のそばに、今日行った書店くらいの大きさの本屋さんがあったのですが、ララポートができてすぐ消えてしましました。この本屋には店頭にない本もあったのですが、注文しておくと1週間以内に「来ました」という連絡があって、子どものころから利用していた本屋さんなので、残念な気がしています。
嶋田 ともえ書店さんでも、こういったやり取りを楽しみにしているお客さんはいらっしゃるんでしょうね。
女性 歳とって来たせいか、読むスピードがだんだん遅くなってきています。
嶋田 同じ人でも歳とともに、読む本が変わっていくんでしょうね。
堀田 本から離れてしまうというのは眼の問題が大きいですね。老眼になって本が読みにくくなってきます。それが原因で本を読まなくなってしまうわけです。私は安い老眼鏡をベッド、食卓、トイレに置いて、どこでも読めるようにしています。
話は変わりますが、昔は本屋というのは周辺の本屋さんの了承がないと開店できなかったんです。私の父親が本屋業界に入ったときは、麦田の弘集堂さん、千代崎町の勉強堂さん、本牧の祥雲堂さん、この3軒の判子が必要でした。今はそんなことはありません。


男性 この地域に住んでいる、活動している作家の方のエピソードはありますか。
堀田 自分が小中学生の頃ですが、山本周五郎さんが本牧間門の「間門園」を書斎代わりに使っていました。父親の話では間門から麦田までよく散歩していて、その途中ふらりと店に入ってきたこともあったそうです。
評論家の紀田順一郎さん、若いころは「喜月堂」さんの裏の方に住んでいたそうで、そのことも何かに書いてありました。千代崎町の「勉強堂」さん、戦前からやっている歴史ある書店なんですが、その店頭で本を立ち読みしていたら、先々代の店主にハタキを持って追いかけられた、なんてこともどこかの本に書いてあります。
私が親のあとを継いだのは23歳のころだったので、もう50年くらい前のことになりますが、店の本の包み紙を自分でデザインしました。そんなことはすっかり忘れていたのですが、今から6、7年前ですか、紀田さんが全国の書店の包み紙に関する本を出されたそうなんですね。わたしは知らなかったのですが、ある人から「お宅の包み紙が本に載っているよ」といわれて、その本を見たけれど思い出せないのです。でもよく見るとうちの電話番号が(2)局になっているんですね。これで「ああ、そういえばだいぶ前にデザイン帖なんかを見ながら作ったなぁ」と思い出した次第です。
たぶん紀田さんが本牧に住んでいたことから、たまたまうちを取り上げてくれたんではないでしょうかね。
嶋田 いいお話でした。紀田さんという方は現在、山手にある「神奈川近代文学館」の館長をされております。それにしても紀田さんはこういうものまで集めていらっしゃるんですね。
男性 これから電子ブックが流行してきますが、これから本屋さんとはどういう関係になっていくんでしょうか。
堀田 こういうものが登場してきて、これから本屋としてどう対応していけばいいのか、まだはっきりした答えは出ていないのです。電子ブックといっても、昔のビデオであったVHS対ベータのような規格の違いがあって、まだ一本化されていません。普及にはまだ時間がかかるでしょう。出版社のほうでも昔の本は電子ブックに移したりしていますが、これから出す新刊本についてはどうするか、はっきり決まっていないようです。
言えることは、映画のようにDVDのような装置で見るのではなく、音楽をダウンロードするようにどこかで端末に取り込んで読むという形になるでしょうね。それでも、その出先がどこになるのか、書店になるのか、そういったことはまだまだ分かっていません。我々も暗中模索の段階です。
女性 嶋田さんが書かれている本は?
嶋田 個人名で書いたものはありませんが、共同執筆ということで書いているものが少しあります。『本牧のあゆみ』も石田さんのお父様に助けていただきました。
以上で、今日の交流会を閉めさせていただきます。
羽生田 先ほどツアーで「ともえ書店」さんを短い時間ですが訪問しました。ご興味のある方はこのあとお店に行っていただけるといいですね。
ちなみに営業時間は夜の12時まで。しかも元旦だけ休みますが、あとは年中無休です。


佐久間 みなさん、長時間お疲れ様でした。今日は堀田さんのお話を聞きましたが、今回は第7回目ということで、これまでに24店舗ほどを訪問しお話を聞いてきました。皆さんからそれなりのご苦労、うんちくをお伺いしてきました。そこでは商人の本当の辛さ、苦労を伺うことができたのではないでしょうか。

皆さんご存知かもしれませんが、いわゆるメンソレータムや西川産業で有名な近江商人、大坂商人、江戸商人、甲州商人、いろいろいますが、そのなかで名古屋の商人は真ん中で、西にも東にも行けないという苦労をされてきました。ここから有名な1尺足りないサラシ、これが1反だということで節約したというお話も生まれました。名古屋帯、いわゆる文化帯も生まれました。
次の機会も商人を応援してやっていただきたいと思います。
羽生田 本も電子化が進んでいくし、お買い物もインターネットでできる時代になって来ましたが、本牧の商店街は店主の顔の見える、体温を感じられるお店が並んでいます。これからもよろしくお願いいたします。

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