2015年7月28日火曜日

第11回商店街うんちくツアー 交流会



 4軒のお店を回ったあと、参加者は上台集会所に戻り、ここで交流会です。






 まずは山田硝子店の小倉さんからお話を伺います。

 現在は倅にバトンタッチしています。
 私がやっている頃はかなり軒数があったんですけどね、バブルがはじけてからお店が減ってきて、現在は神奈川県内で80軒くらいしかありません。
 中区内だとたったの8軒だけです。
 それしかありません。
 前は20数軒あったんですけどね。
 その8軒のうち組合に加入しているのが6軒だけです。
 バブル以降、目立たない商売がますます目立たなくなりました。

 私がガラス屋を始めたのは…
 中学を卒業して高校に行ったのですが、そこを1年で辞めてしましました。
 私はねぇ、はっきり言ってワルだったんです。
 殴ったりはしませんでしたが、オヤジとはよく喧嘩をしていました。
 私は商売が嫌だったんですね。

 その当時は「山田屋硝子店」ではなく、「山田屋商店」といっていました。
 学校をやめたあとは、石川町にある「水谷」という店に小僧として修行に行きました。
 でも、仕事なんかそっちのけで、遊びに夢中になっていました。
 だから修業先でも「お前はもういい。親父のところでやれ」といわれて首になってしまいました。
 私のオヤジは頑固者で、遊びをさせなかったんですね。
 だから20歳になる前に家を出ました。

 そして10年間、ほかに行きました。
 そこで「お前も店をやれ」と言われたんです。
 「なんかやるんだったら金を出してやるぞ」ってね。
 それじゃあ、やっぱりガラスをやろうと思い、再び「水谷」に行って硝子を切る仕事をやっていました。
 そうしたら「水谷」がうちのオヤジのところに行って、「お宅の息子さんがガラス屋をやりたいと言ってるから、戻るように言ったほうがいい」と伝えたんですね。
 私がやったのは、大工とは関係ない内装のガラスなんです。
 あの当時は内装屋がぼろ儲けをしていて、半分取ればあとはいい、そんな時代だったんです。
内装関係のガラス屋っていうのは競争相手がいなかった。
他のガラス屋さんは自分の家を建てるのに一苦労していましたが、私は早くから所帯を持って、家も建てました。

 それから現在のビルを建てたんですが、その時、建築屋が7階で建つっていうから7階建てで計画したんですよ。
 そしたら国の方で6階じゃなけりゃダメだというんです。
 高さの規制があって1メートルオーバーしちゃうです。
 そこで結局、1メートル下げて建設することになったんです。
 (だからあのビルは1段下がったところに1階があるのだ)
 
 さきほど皆さんがツアーで回って見てきたあの小さな店、あれはビルを建てるとき一時的に店を移転するためだったのですが、1メートル低くなったビルの1階ではガラス屋を再開できないということで、あのまま借りっぱなしになって、お店として使っています。
 でもね、あのとおり古くて汚いので、大家さんが取り壊すというんですね。
結局、来年の11月までは利用することになっていますが、そのあとは出なければならないのです。

 先ほどお話ししたように、今、ガラス屋はどんどん減ってきています。
 だから倅は大忙しなのです。
 そして私も歳ですから、倅に「オヤジ、ガラスは重いからもういいよ」と言われ、
硝子からは引退しましたが、内外装の方だけは今もやっています。



嶋田:内装のガラスをやっているというお話しですが、先代のお父様はどんなお仕事だったんですか。

小倉:大正15年に金物をやりだしたんです。その後、空襲でやられてしまい北海道に移住しようとしていたんです。
 でも私のお袋やお婆さんに「ここで仕事を続けるべきだ」と言われて、結局、「山田屋商店」を続けてきたわけです。

嶋田:お父様の扱っていた金物の他にガラスはやっていなかったんですか。

小倉:少しだけやっていましたね。昔のは小さかったからね、できたんです。

嶋田:内装のガラスということなんですが、具体的にはどんなガラスなんですか。
 たとえばこのような窓ガラスとかではないんでしょ。

小倉:そうそう、ビルや住宅の窓ガラスではなく、店舗のショーウィンドウとか、そういうのです。

今関:うちのお店のショーウィンドウみたいなやつですよね。

小倉:そうそう、あれは別な業者やったんですけど、ああいうの。一般の住宅のガラス窓とは違うの。私は住宅もやったけど、店舗関係がいちばんおもしろいですね。

嶋田:ここ本牧通りの商店街では、たくさんやっていらっしゃるのでしょうか。

小倉:商店街ではやっていませんね。というのは内装屋さんが違うんです。

嶋田:店舗の場合は内装屋さんが仕事を受けて、そこからガラス屋さんに来るわけなんですね。

小倉:そう、内装屋さんが図面を出してここに入れてくれとか、それで値段を決めて硝子を入れるわけ。
 住宅の場合は大工さんが坪いくらでやるけど、店舗の内装は図面で決めるんです。そこで我々が出した値段で内装屋さんはやるんです。
 でも、それが高いということになると、他を削るんです。ガラスだけは削れないんです。

嶋田:そうでしょうね、硝子をやめて板にするわけにはいきませんもんね。
 今日は泉湯さんで大正時代のステンドグラスを見てきましたが、お宅ではステンドグラスも扱っているんですか。

小倉:うちのカミさんがやってましたけど、あれは特殊なもので難しいんです。道具は残ってますけどね、今はやっていません。
 今、ガラス屋さんでステンドグラスやっているところは無いでしょう。あれは図面を書いて切るのが難しいんです。

嶋田:切るのが難しい?

小倉:そう。我々は向こう側から手前に向けて切って行くんだけど、ステンドグラスは逆で、手前から向こうに向かって切るんです。

嶋田:一般のガラスとステンドグラスとでは、切るための道具も違うんでしょうね。

小倉:昔はダイヤの粒で切っていたでしょ。今はオイルカッターなの。それでステンドグラス用のは少し小さいのね。

嶋田:道具も違えば使い方も違うわけですね。
さて、今日は「WEショップ」の今関さんにもお越しいただきました。
「WEショップ」というのはチェーン店なんですか?

今関:チェーン店というイメージではないんです。15年前に1軒目ができてから、いくつかできてきたんですね。
そこで、みんなで協力し合って一緒にやろうよということで始まったんです。
ときどき皆で集まって情報交換をしますけど独立採算性です。
倉庫は皆で借りているので、その管理費なんかは皆で負担しています。
チェーン店ではないので、黒字の店から赤字の店に補填するとかないです。
でも、お互いに助け合い協力し合ってやっているのです。



嶋田:置いているものは?

今関:大きい物とか電機製品はやっていません。
新品の電気製品でも扱いません。危ないですからね。
だから置いているのは洋服、バッグ、靴、人形、日用雑貨などです。
お客さんにとっては何が置いてあるのか分からないので、「大人の駄菓子屋」なんて呼んでいます。

嶋田:お店に行くたびに展示の仕方も素敵だなぁと思うのですが、いちばん良く売れるものって何でしょうか?

今関:洋服ですね。ここでは大きめのサイズ、小さ目のサイズが結構あるんですね。
これって、普通のお店ではちょっと高めなんですけど、うちでは安く買えるということもあって、人気のようです。

嶋田:仕入れは?

今関:チラシをまいて寄付してもらっています。もう自分では着なくなったけど、捨てるにはもったいないというようなものです。
これが結構集まるのです。
最初はちょっと心配だったのですが、15年前にできた1号店の方から「絶対に来るから大丈夫」と言われまして、やってみたら本当に集まるんですね。
ちょうど衣替えの今頃の時期は多くなります。
いい物をいい状態で持って来てくださります。
うちは寄付なんですけどいいですか、とお聞きすると、
「古着屋に持って行って100円とかで売るよりも、こうした活動で東南アジアや支援を必要としている方々に役立つなら」ということで置いて行ってくださります。

嶋田:ありがとうございます。
さて、横浜は他の都市よりシーズンが早く変わるんだそうです。
実は私もファイバーリサイクルといって布のリサイクルを20年近くやってきました。
間に専門の業者が入っているんですが、その方がおっしゃるには、横浜という町はオシャレな町で、一足早く次のシーズンを迎えるだそうです。
そこで衣替え時期に出てきた洋服が、今関さんたちのお店の方に流れるんでしょうね。
似たような町で神戸はどうなんですかと聞いたら、「いやいや全然違う。横浜は変わり身が早い」とおっしゃるんですね。
さて、そうして売って得た利益をどうするのか、普通のご商売とは違いますので、改めてお聞きしたいと思います。

今関:利益から現金を送っているところとか、お店によって違うんですね。
私たちの場合はたとえばフェアトレード品を仕入れて販売することによって、そういう国々の産業やそこに携わっている人たちの生活を支援しています。
うちは今、フィリピンの山岳地帯で作っているジンジャーティーとコーヒー、それから福島のいわき市で作っている海産物や文房具を仕入れて売っています。
過去にはカンボジアやネパールの絹製品や、児童労働反対の運動をしているところのチョコレートを仕入れています。
これは防腐剤を使用していないので冬しか販売できませんけど、そんなものを扱っています。




嶋田:さきほど回ってきた「木むらや」のお菓子が届きました。運営委員のほうでお茶を用意しましたので、どぞ召しあがりながら話を続けていきたいと思います。
さあ、今関さんところ洋服のお話しが出ましたが、それ以外で注目すべきものがありますか?

今関:最近は着物ですね。もうキモノを着なくなっちゃったからといって持って来てくださるかたが増えています。
年に2回、ある程度ものが集まったら着物フェアというのをやっているんです。
着物を着たいという人は買ってくれますし、着ないけど着物をリメークした洋服やポーチなどの小物ならという方もいます。
よく売れるんです。
でも、こういうのを見ていて、やっぱり着た方がいいネということで、先日、第1回着付け教室を開催したんです。
少人数でやりたかったので4人にして、募集のチラシを貼りました。
リユース、リサイクルだけではなく、やはり日本の文化を伝えていかなきゃいけない。
私たち50代、60代になる人たちが知らないで、次の世代に移っていくというのは申し訳ないということで始めました。
皆さん、着物には非常に関心があります。

嶋田:今回は浴衣だったんですか。

今関:最初は浴衣でしたが、次回は合わせを着てみようということでやります。

嶋田:ありがとうございます。
さて、先ほどはお風呂屋さんを回ってきたのですが、今日はたいへん素晴らしい方が参加されていました。
本当は泉湯のご主人に来ていただければ良かったのですが、先ほどもね、私たちのツアーのすぐあとにお客さんが来られていましたからね。
ということで、今日の参加者のなかに銭湯の専門家がお出でになっていますので、ちょっとこちらに来ていただけますか。

玉崎:中区役所生活衛生課の玉崎といいます。
私は30年前に鶴見保健所に就職し、それから30年間、いろいろな保健所を転勤してきました。
最初、お風呂屋さんの衛生チェックを担当するよう指令が出ました。
当時は鶴見区には60軒くらいのお風呂屋さんがありました。
そしてお風呂屋さんに行っているうちに、どうやってお湯が作られてるのかなって興味がわいてきました。
改築するという情報が来るたびに、それじゃあ裏を見せてくださいということで、いろいろ見せてもらってきました。
そこで分かったのは、銭湯のお湯づくりは究極のエコだということだったんです。
エネルギー効率がよく考えられているのです。
衛生チェックとは全然別なところで興味を惹かれてきました。
そこで知ったことを図解しながらお伝えしたいと思います。

(玉崎さんが黒板に図を書いている間に)

横浜市の発行している季刊誌「横濱」で銭湯特集をしたのだが、それを嶋田さんが紹介。

玉崎:この四角い部分がお釜と考えてください。
そして右側から水が入ってきます。
左下が燃料を燃やす部分です。薪だったりガスだったり、いろいろあります。
その煙突を通る煙をいきなり外に出すのではなく、こうしてお釜のお湯の中を通しています。
煙も熱いですから、少しでも熱をお湯の方に移行しようというわけです。
この釜の中お湯は90度くらいになっていて、それを取り出し水とブレンドしてカランに回します。
浴槽のお湯はだいたい40度くらいですが、それを釜のお湯の中に引き込んで、もう一度浴槽に戻すわけです。
これは混合させるのではなく、パイプの中を通しています。
ですから浴槽から来た37度くらいのお湯を、この90度のお湯の中を通過させることによって45度くらいに上げて浴槽に回しています。
さらに銭湯さんによっては、こういうパイプを使って床暖房にしているところもあります。
本来の仕事とは違うのですが、こうして公衆浴場に行って内部を見ることによって、
銭湯のエコシステムについて知ることができ、大変興味を持ったわけです。

嶋田:今日行った泉湯さんは、横浜の銭湯の中ではあまり大きくないような気がするのですが、どうなんでしょうか。

玉崎:大きさについては簡単に比較できませんが、今日見たあの番台スタイルというのはだんだん減ってきているので、大変貴重なものだなとは感じました。
最近はフロント形式が多いですからね。
さらに、あのようなペンキ絵を残しているところも貴重だと思いました。

嶋田:そういえば、下見調査に行った時と今日とでは絵が替わっていたらしいですね。

村田:そうなんです。下見に行った時は、男湯が「瀬戸内海」で女湯は「西伊豆 富士山」でした。
それが今日見たら男湯は「河口湖 富士山」で、女湯は「志摩」になっていました。
描きかえるとは聞いていましたが、すごいですねぇ。

嶋田:玉崎さんはいろいろ市内のお風呂屋さんをご覧になっているわけですが、浴室の絵っていうのは多いのでしょうか。

玉崎:そうですね、富士山は定番になっています。あとは伊豆方面の絵も見られます。
それから絵ではなくタイル張りにしているお風呂屋さんもありますね。

嶋田:泉湯さんでは大正時代のステンドグラスがありましたが、こういうのって銭湯ではよく見られるんでしょうか。

玉崎:ないですね。
ただ、ほかには内部から植物が見られるようになっているとか、入り口付近で鳥を飼っているいるとか、そういう銭湯があります。

嶋田:どうもありがとうございました。

村田:それでは、ここで質問などありましたら…

女性:着物ではないのですが、反物でも扱っているのでしょうか。

今関:はい、やっております。ただ、絹がいいんですね。ウールや化学繊維は売れませんので。
浴衣の生地だったら木綿でもOKです。

嶋田:時間が来たようですので、このへんで終わりにしたいと思います。
それでは運営委員の石田さん、ひとこと。

石田:第4地区南部元気づくり推進協議会の運営委員長を務めている石田と申します。
本日は商店街うんちくツアーにお集まりいただき、どうもありがとうございました。
今までの10回と今回は何が違うかといいますと、今までは全部、第4地区南部の区域内のお店を対象としていたのですが、今回はそこからはみ出して、周辺地域のお店も訪ねたことです。
これからも、周辺地域の商店を回って行きたいと思います。

嶋田:みなさんのお手元にゴールデンカップのチラシが入っていると思います。
ご覧になってください。
寄席をやっているんですね。その入場料は1000円なのですが、なんと和服を着ていくと200円引きの800円。
今関さんとこで和服を買って行ってみてはいかがでしょうか。

村田:それでは最後に佐久間会長にご挨拶をお願いしたいと思います。


佐久間:今日は暑いなかを、こんなにたくさんの方々に集まっていただきありがとうございました。
この商店街うんちくツアーはいろいろな形で続けてきております。
また皆さんのご協力のもと、商店街の良さ、人の良さ、お店の良さなど、いろいろなことを知っていただくために、お話しすることもできてきました。
今日の資料のなかに本牧リボンファンストリートのお中元セールのチラシが入っていると思います。
また横浜市が推奨している「プレミアム商品券」のチラシも入っています。
これは1万円で1万2千円分のお買いもの券が買えるというのもです。
7月21日が締め切りで、一人が10口まで購入することができるそうです。
ぜひ、こういうものを利用して商店街でお買い物をしていただけるようお願いいたします。
最後になりますが、暑いさなかをツアーで歩いていただき、皆さんのお身体が気になります。
どうぞお気をつけてお帰りくださるようお願いいたします。
今日はどうもありがとうございました。


posted by よんなん

2015年7月22日水曜日

第11回商店街うんちくツアー 「山田硝子店」

 「木むらや」を出た一行が次に向かったのは「山田硝子店」。

 狭いお店なので中には入れません。
 なので外の駐車場でお店の歴史などをお聞きしました。

 かつては本牧通りで荒物屋・ガラス屋としてお店を開いていそうです。

 現在はリフォームや店舗のコンサルタントなどを手掛けています。

 かつてお店があった場所。
 現在はマンションに建て替えています。

 ここも狭い場所なので、詳しくは交流会でお話しを聴くことにして、上台集会所へ戻りました。

posted by よんなん

2015年7月21日火曜日

第11回商店街うんちくツアー 和菓子の「木むらや」

 リサイクルショップ「WE ほんもく」を出た一行が次に向かったのは和菓子の「木むらや」です。







 このお店は1880年、明治13年に創業しています。
 私が4代目ですが家督を息子に譲り、現在は5代目としてやっております。
 皆さん、今日は商店街うんちくツアーの参加者としてここにお出でになったわけですが、このお店があるということはご存知でしたか?

 「知りませんでした…」
 「知ってるよ~」

 この先は北方小学校や双葉学園などがあり、時間帯によっては人が通るのですが、元町やなんかと違ってなかなか一般の方の人通りって、ないんですよね。
 そんな辺鄙なところで100年以上もやってきているということは、それなりに特徴があるわけです。


 この先にはキリンビールの発祥の地があるのですが、昔は工場があったのですね。
 その頃は工場を中心にしてかなり人口が多かったようです。


 社員の他にも、今でいうパートの人などが通っていました。
 その人たちは樽やビンを洗っていた、まあリユースの仕事でしょうね。


 そういう風だったから、この辺には今で言うアパートかな、長屋がたくさん建っていたわけです。
 キリンビールの工場の他に、妙香寺や北方皇太神宮、そしてたくさんの学校が周りにあったので、そこから結構仕事をいただいてきました。


 大正12年の関東大震災のあとキリンビールが生麦に移転してしまい、それから、この周辺はだいぶ様変わりしてしまいました。




 うちのお菓子は、そこに掲げてあるようにいろいろ賞状を貰っていまして、たとえば「どら焼」、「磯最中」、「こがね餅」など、お寺さんのお茶菓子に結構使っていただいております。



 ここにある団子とか大福なんかは、最初に来たグループの方々が買っていってしまったので残り少ないですが、この団子、大福は二日も三日も柔らかくないのです。

 「朝生」といって、その日に作ったものをその日に食べる。
 うちは売店なんかないし、裏で作ったものを表で売っており、長持ちさせるようにはなっていないのです。

 昔から和菓子というのはいろいろなものを混ぜたりしないものなのです。
 そのほうが本来の味がするし香りもいいし、シコシコ感も違ってくるのです。


 お客さんの中に、冷蔵庫の中にいれて固くなるから「お宅のは本物だ」なんて言う方がいらっしゃる。
 冷蔵庫に入れて保存しちゃダメなんです。


 工場で造ったものを売っているスーパーやコンビニの和菓子は、その日のうちに売り切れないから何日かもたせるために、柔軟剤や砂糖などを添加しているのです。
そうすると生地の塩梅が変わってくるのです。


 「子どもに食べさせるには、やはりこういうのがいいね」といわれると嬉しいですね。
 そういうお客さんに支えられてやってきています。






(ここでお客さんが和菓子を買いに入ってくる)

「醤油の団子3本と葛桜ね」

 ここらあたりでは、うちが一番古いんです。もう135年になりますからね。

 生まれたときから亡くなったあとまで、人間の一生は和菓子とずっと関わりがあるのです。
 子どもができたときの着帯祝いから始まって、出産祝い、お宮参り、初節句・・・そして亡くなった時の仏事、法事ですよね。


 赤ちゃんが生まれて三日目に母親がぼた餅を食べるとおっぱいの出が良くなるよとか、最近は若い人たちがそういうことを分からなくなってしまって…

 昔はそういうことをお婆さんとかお母さんが教えていたんですよね。
 今ではそういう風習を親から伝えられなくなってしまったので、
和菓子を扱うお店で若いお客さんに教えていかなければいけないんでしょうけどね。


 でも、今のお婆さんたちは自分の子どもに伝えられなかったけど、孫が生まれてそこで教えるようになってきたということもあります。


 1升餅ってありますよね。
 子どもが1歳になったときに背負って歩かせ、一生(一升)、食べ物に困らないようにとか、一生(一升)、健やかに過ごせるようにと願ってお祝いをするのです。
 今日も一軒、その予約が入りました。


 2キロもあるんですよ。これを1歳の子が背負って歩かなきゃいけないんです。

(ここで参加者の一人がかりんとう饅頭を買おうとして…)
 あっ、余計な話かもしれませんが、今日このあとの交流会でそれが出ますよ。
 違うのにした方がよいかと…

 最近、横浜国大付属小学校の生徒さんたちが来て、「木むらや」を紹介するポスターを作ってそこに貼っていってくれたんです。
 その後、先輩がたまたま買いに来て、「あれ~、後輩たちが作ったんだぁ」なんてね。



 昔は和菓子屋はたくさんあったんですけどね、今じゃ、本牧周辺では2,3軒しかないでしょ。
 だからといって和菓子を買いに来るお客さんが増えることは無いんですよ。


「麦田に木むらやという店がありましたけど…」
「あれは支店です。うちが本店で」
「やめちゃいましたよねぇ」

「呉服屋さんと和菓子屋さんがある商店街は格が高いといいます」
「肉屋さん、八百屋さん、魚屋さん…と、みんな揃っていますよ」
「そういう生鮮三品を扱う店がある商店街は一般的で、呉服屋と和菓子屋があると、ワンランク上の商店街となるわけです」


 そろそろ時間ですので次に向かいましょう。



次の「山田硝子店」に向かう途中、「上田屋」で本牧シュウマイを買う参加者。

posted by よんなん

2015年7月12日日曜日

時を超えて、つなぐ思い

本牧が一つになろう!

忘れてはいけないこと!

変わらなければならないこと!

変えてはいけないモノ!