たまたま昭和31年の住宅地図を眺めていたら、大鳥小学校の近くにも牧場があったことを発見。
名前は西山牧場という。
しかし、牧場とは言っても、広い土地に牛や馬が放牧されているわけではなかったようである。
この地図で見る限り、そこには牧舎しかなかったようで、せいぜい数頭の牛馬を飼育していただけと思われる。
当時の写真が残っていれば、その正確な姿が分かるのだが、残念ながらこのエリアにおける昭和30年代の写真は見たことがない。
さて、この地図を見ていて気がついたと思うが、やたら「外人」と書かれた家が多い。
戦争が終わって11年。本牧は広大なエリアが接収され、小港から先は本牧通りを挟んで両サイドに米軍ハウスが建ち並んでいたが、接収地以外にもこうしてアメリカ人が住んでいたのだろう。
最近、本牧・本郷町のまち歩きをしているときに、「おやッ!?」と思わせる住宅に出くわすことがある。
それは、いわゆる普通の日本家屋ではない、どこか一部にアメリカ風を感じさせる和風住宅といった感じの家。
たぶん、昔はアメリカ人が住んでいたのだろうと想像していたのだが、この地図に描かれた「外人」住宅を見て、その見方が正しかったことを実感した。
もう一つ、この地図を見ていて気がついた。それは今の本牧大鳥公園がある所が、当時は「中母子寮」だったということだ。
その後、この場所は昭和44年に障害者の通所施設「おおとり園」となり、そこが閉鎖されたあと、平成9年には「中区ボランティアハウス」として再利用されてきたのである。
▲おおとり園
▲中区ボランティアハウス
そのボランティアハウスも閉鎖され、平成16年、その機能は「中区福祉保健活動拠点」(中区山下町2)に移転。
跡地は公園として整備され、そこに隣接して本牧大鳥自治会の会館もできた。
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