先月、本牧・本郷町で「まち歩きの会」があった。
町内の“いいトコ探し”の活動だったのだが、その際、地元の町内会長から平塚武二(1904-1971)という児童文学作家の存在を教えていただいた。
平塚武二は横浜(本牧?)で生まれ、青山学院を卒業したあと鈴木三重吉に師事し、昭和17年(1942年)に童話集『風と花びら』を発表している。
戦前から戦後にかけて活動した作家で、昔の横浜の情景を鮮やかに描いていることで知られているようだ。
その辺の活動が評価されたのだろうか、昭和39年(1964)には横浜文化賞を受賞している。
彼の作品群のなかに『ヨコハマのサギ山』(昭和23年)というのがある。町内会長お薦めの一冊だ。
さっそく、それを読んでみた。
すると、そこには例の風車の光景が描かれていたのである。
例の風車とは何かって?
大神宮山(本郷町と西之谷町の境界)に建っていたヴィラ・サクソニアの風車だ。
大神宮山の名残
ペンキ職人のひとり娘ツウタンの日常行動の中にその風車が登場している。
『ツウタンは、よく、家のうらの、かげになっているところにのぼって、そこからよく見えるドイツ人の異人やしきの、屋根の上でまわっている風車を見ていることがありました。
風車は、夕焼けの赤い空で、くるくるくるくるまわっています。
ドイツ人の異人やしきでは、風車をまわして、電気をおこしているのでした』
この作品は昭和23年の発表であるが、話の中身はそれより30年も前のこと。大正初期の頃だろうか。
作者は実際にヴィラ・サクソニアの風車を見ていたに違いない。それをツウタンの行動の中で描いているのだ。
ツウタンの友達に、貧乏な靴屋の娘トコがいる。
姉妹が8人もいるため13才ながら学校が終わると、外国人のテニスクラブに行って球拾いのアルバイトをしている健気な子だ。
働いて得たお金で、小さな弟のために牛乳を買いに行くのだが、そこに今度は本郷町の牧場が登場する。
『あそぶ人のためにはたらなければならないなんて、貧乏はつらい。でも、そうやってはたらいてもらうお金が、あかちゃんのおっぱいになるのです。
だいじな、だいじなお金です。トコは、しっかりとにぎっていきます。わざわざ買いに行かなくても、牛乳屋さんのほうから持ってきてくれる牛乳を、トコが買いにいったのは、牛乳屋さんに牛乳をまけてもらって、たくさんほしいからだったのです。
お金は、牛乳屋さんにわたすときには、あせばんでいるのです。
牛乳を買いに行くところは、オオサワ牧場です。牧場といっても、小さなものです。牛は、5,6頭しかいませんでした……』
本牧通りから本牧緑ヶ丘方面に入って行く谷戸がある。大沢谷戸という。
その名の由来は、ここにあった大沢牧場だ。
それが『ヨコハマのサギ山』に描かれていたのである。
大沢谷戸の風景
大沢牧場の近くには、他にも牧場がたくさんあった。
昭和8年の火災保険地図より
物語の最後は、悲しい事柄が続く。
ツウタンのお父さんは、彼女が15歳のときに、ペンキを塗っていた汽船の煙突から転落死する。
サアボウのお父さんも、第1次世界大戦で戦死。
そのあとは、大きくなった子供たちも太平洋戦争で戦死したりして、登場人物だった子供たちはみんな居なくなってしまう。
『…たった30年そこそこのあいだに、なんというかわりようでしょう。横浜は、わたしのふるさとですから、わたしは、かなしくてなりません。かなしくてかなしくてなりません。
だが、しかし、かなしんでもしかたがない。クンちゃんはいなくても、リイちゃんはいなくても、ツウタンもサアボウも、トコもいなくても、元気な、あたらしい横浜の子といっしょに、力をあわせて横浜をりっぱにしましょう。……』
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