2013年8月17日土曜日

「ヨコハマのサギ山」作者の平塚武二と亀の子石

 平塚武二(1904-1971)という児童文学作家がいた。

 平塚武二は横浜(本牧?)で生まれ、青山学院を卒業したあと鈴木三重吉に師事し、昭和17年(1942年)に童話集『風と花びら』を発表している。
 

 戦前から戦後にかけて活動した作家で、昔の横浜の情景を鮮やかに描いていることで知られているようだ。
 その辺の活動が評価されたのだろうか、昭和39年(1964)には横浜文化賞を受賞している。

 彼の作品群のなかに『ヨコハマのサギ山』(昭和23年)というのがある。


 その内容については、以前の記事に書いてあるが、平塚武二の実家は平塚組という土木業者だった。


 横浜電気鉄道株式会社による電車鉄道は明治44年12月に敷設され、本牧地区では山下町西ノ橋~木牧町字宮原間に開通した。
 停留所は麦田町、上野町、千代崎町、台、小港、宮原で、軌道わきには新しく人道ができた。これらの停留所の周辺から人家が建てられていき、そして大正13年4月には、字三之谷まで延長された。


 電車を三之谷まで引っぱって来ることができたのは、原三溪の力によるという。彼の地所を借りた人には1年間電車の無料パスを発行するというような住宅誘致策をやり、それからどんどん住宅地ができていったのである。
 

 一帯の整地工事は、平塚組が請け負い、田んぼや沼を埋立て盛土した。経営者の平塚福太郎は土木事業のほかに、明治44年(1911)12月には三之谷に本牧花屋敷も建てている。
 敷地内には池や滝、小さな動物園や水族館、演芸の常設場もあった。




 本牧三之谷・桜道沿いに、俗にいう「亀ノ子さま」の祠がある。ここに亀の子石が祀られていて、百日咳などのときにタワシで洗うと咳が治るといわれている。



 平塚組という会社は現在、存続していないようだが、その名残をこの「亀ノ子さま」の中で見ることができる。祠の前に石造りの小さな香台が置かれており、その側面には「平塚組」という文字が刻まれているのが確認できるのだ。





posted by ほんごう君

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